2018年3月15日(木)ドイツⅡ その79 エピローグ(13)ワルシャワ

⑧ワルシャワ:2017年5月5日(金)その2


・早起きしてビィスワ川、旧市街を観て、お昼前にクラクフに行く計画に変更した。朝7時、街歩きを開始した。ワルシャワの新市街はスクラップ&ビルドが盛んで、至る所で再開発が行われている印象があった。2015年に行ったイギリスのリーズも似た感じだった。1980年代に衰退していたリーズはIT、金融、教育で元気を取り戻したと聞いている。ワルシャワにも何か好景気の要因があるのだろうか。すこしバブル気味なのが気になった。超高層ビルの間にこのような廃ビルがあちこちに残されていた。


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・再び、都心のワルシャワ中央駅を目指した。

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・再開発地区の工事中の超高層ビルの脇を通り過ぎた。仮囲いに建物の完成予想図が掲示されていた。「GETHOUSE」とあるので、このビルはマンションだろう。

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・今日のターゲットはヴィスワ川とワルシャワ東側の旧市街。自称川屋には何処へ行っても川を見逃すことはできない。ワルシャワといえば、世界文化遺産にも登録された旧市街。この観光名所も見逃すわけにもいかない。とりあえず、ワルシャワ中央駅から文化科学宮殿の脇を通って、南側の市街地を歩いた。

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(出展 Google)

・ワルシャワ中央駅の鉄道路線(長距離鉄道、近郊鉄道)はワルシャワ中心地区の約2kmに亘って地下化されていた。ドイツのライプチヒ中央駅でSバーン(郊外鉄道)が地下化されていたが、ドイツの大半の街は長距離鉄道は高架か地上線路だった。この事業が何時行われたかは不明だが、線路の地下化で分断された街が融合され、中心市街地に大きな利用可能な空間が造られた訳で、優れた都市計画だと感じた。デュッセルドルフのライン河畔道路の地下化や京都の鴨川沿いの京阪電車の地下化は道路の渋滞解消が目的だと聞いている。ワルシャワの鉄道地下化についても、鉄道を横断する道路がかつて平面交差したため交通渋滞が発生したのかもしれない。そう言えば、ハンブルク旧市街の東側のリング(お堀)は半地下の鉄道になっていて、交差する道路は、橋梁で鉄道を上越ししていた。ワルシャワの場合、当初堀割型だった半地下の鉄道に蓋掛けをした可能性も考えられる。いずれにせよ、地下化したことで優れた都市空間ができ、都市の価値や機能が向上した事例と考えられる。


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(出展 Google)

・昨日初っ端に驚いた、奇抜なデザインの高層ビルは「Złota44」という52階建ての超高層マンションだった。東京駅の真横にマンションが建ったみたいなものだ。隣の円形の建物はショッピングモール、奥に見えている薄茶の建物が文化科学宮殿。

Wikipediaより
Złota44は、ポーランドと欧州連合(EU)の住宅で最も高い建物の一つです。それは192メートルの高さに達し、287のアパートメントを含む贅沢な52階建ての超高層ビルです。


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・ワルシャワ中央駅は現代的なデザインの駅舎だった。てっきり、ドイツの駅舎のような古典的なファサードを想像していたので意外な思いがした。

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・文化科学宮殿前の広場は実に広々していた。ポーランドは土地が沢山あるのだなと感じた。


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・時刻は7時40分。通勤の人たちが沢山歩いていた。ポーランドの女性もパンツルック、スカートの人は見掛けなかった。

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・中心部を外れると、沿道にはスカイラインを揃えた古典的な建物が並んでいた。

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・ワルシャワの八重サクラも満開だった。

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・聖十字架通りと並行する、ワルシャワの東西の基幹道路イェロゾリムスキェ通りに戻った。フランスのシャルル・ド・ゴール将軍の像が建っていた。ドゴール将軍は、第2次世界大戦中、ロンドンに亡命政府を創って、ナチスドイツに勝利したフランスの英雄だ。1939年、第2次世界大戦はドイツ軍によるポーランドのグダンスク侵攻で始まった。ドゴール将軍はポーランドの同志ということだろう。


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・国立博物館の前まで来た。ちょうど、日本の江戸時代の絵画展が開催されていた。

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・市街地の東にあるヴィスワ川に向かって歩いた。振り返ると、文化科学宮殿と例の超高層マンションが見えた。背の高い建物は、新参者の旅行者にはありがたいランドマークだ。


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・博物館脇の花畑。


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・博物館のお隣は武器博物館。本物の戦車や戦闘機が展示されていた。

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・大きな親柱が2本見えてきた。てっきり、ヴィスワ川を渡る橋かと思ったら違っていた。振り返ると親柱というレベルを超えた立派な建物だった。この橋は陸橋で川沿いの低地の森を渡る高架橋だった。


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・低地には緑滴る公園や住宅が拡がっていた。この低地はビスワ川が作った沖積低地、親柱の崖が境で中心市街地は河岸段丘の上位面ではないかと考えてみた。

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・8時30分、ヴィスワ川の左岸河畔に到着した。


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・橋の歩道からヴィスワ川の上流を眺めた。ビスワ川は川幅が500m位はある大河だった。ドイツと違って観光舟運や産業舟運での利用はほとんど感じられなかった。右岸の河畔林や自然河岸に豊かな気分を感じた。


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・河畔には階段式護岸が設置され、水辺へのアクセスも良く、一定の水辺利用は感じられた。日本では「かわまちづくり」の気運が高まってきたが、ワルシャワの河畔を眺めると、意図的ではなく無理せず自然に出来上がったという気分を感じる。ユッタリと広い土地があるのは羨ましい限りだ。


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・ヴィスワ川は流路延長1000km、流域面積約20万km2の大きな河川だった。上流にクラクフ、中流にワルシャワ、下流にはグダンスクがある。ドイツのエルベ川に匹敵する大河だった。

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(出展 Wikipedia)

Wikipediaから引用・・・

ヴィスワ川(Wisła)は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキディ山脈(英語版)(en:Silesian Beskids、en:Barania Góra)の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。
延長1,047 km
平均流量1,054 m³/s
流域面積194,424 km²
水源ベスキト・シロンスク山脈(ポーランド語版、英語版)(ベスキディ山脈(英語版))
水源の標高1,106 m
河口・合流先ヴィストゥラ潟(英語版)(バルト海、en:Gdańsk Bay)
流域ポーランド


・世界遺産に登録された旧市街を目指してヴィスワ川の左岸河畔を下流に向けて歩いて行った。

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(出展 Google)

・鉄道橋をやり過ごして河畔公園までやってきた。対岸には斬新なデザインの競技場が見えていた。ヴィスワ川は基本的に掘り込み河川だが、一応、水の流れる低水路と高水敷からなる複式構造だった。ヴィスワ川の舟運、河畔利用は何となく低調な感じだった。

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・観光船の屋根に「FLOATING BAR」と記載されていた。日本流に言うと、「屋形船」ということだろうか。観光舟運はあるようだが、ドイツの熱心さには程遠い感じだった。


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・河畔公園の整備はこれからといった感じだった。鉄道橋や斜張橋の桁下空間は10mはありそうなので、産業舟運、観光舟運を視野に入れているのかもしれない。右岸にはドイツでお馴染みになった掘り込み型の河川港がある。かなりの大きさの船舶が通り抜ける空間は用意されていた。現時点のヴィスワ河畔はいまいちだが、ポテンシャルの高い川だと感じた。河畔道路の一部を地下化して、道路で分断された河畔公園の一体化が計画されていた。ワルシャワ中央駅付近の線路地下化と共通したものを感じた。


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(出展 Google)

トンネル部分の長さは約500m、片側3車線のトンネルが2本分、全幅で約25mの公園用地が復活した計算になる。2016年のドイツ旅行でケルンのライン河畔でも似たような地下トンネルを見た。


欧州の人たちは道路は高架化するより地下化するのが流儀なのかもしれない。もしかしたら、青空や太陽光を大事にしたいから?


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(出展 Google)

下流側の地下トンネルの入口。


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・コペルニクス科学センターは河畔公園の中核的な施設で、河畔テラスが立派に仕上がっていた。


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Wikipediaで調べると、この建物はポーランド最大の科学館だった。

コペルニクス科学センター (Copernicus Science Centre, ポーランド語: Centrum Nauki Kopernik) は、ポーランド、ワルシャワのヴィスワ川の辺にある科学館[1]。来館者が自分で実験を行ったり、科学の法則を発見したりできる450を超える体験型展示によって構成されている。科学センターは、ポーランド最大の科学展示施設であり、ヨーロッパにおいても最新のものの1つである。2012年9月25日、センターは200万人目の来館者を迎えた。


・玄関に深海探査艇が展示されていた。


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・河畔の散策路をさらに歩いて王宮を目指した。屋根を総ガラス張りにした珍しい建物があった。「古い革袋に新しい酒を入れる」といった精神を感じた。


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・旧市街が近づいてきた。スカイラインを揃えたパステルカラーの建物が現れた。自分が持っていたワルシャワのイメージとはこんな街並みだった。

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・昨日は、トヨタとマツダが隣り合わせ、今日は、ホンダとニッサンが仲良く並んでいた。日本車はポーランドでは一定の評価を得ているようだ。

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・9時10分、王宮が見えてきた。玄関はどっちを向いているか?

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・王宮の玄関は市街地側ではなく、ヴィスワ川を向いていた。ワルシャワは、ヴィスワ川の舟運で発展した街かもしれない。


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(出展 Google)

・王宮は高台の旧市街にあった。河岸段丘の上位面かもしれない。


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・カトリック教会を見上げた。普通の観光客は、高台の大通りから旧市街に入るだろう。自分の場合はヴィスワ川から裏口入学みたいな感じで階段を上って旧市街に入った。

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以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-03-15 21:38 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月13日(火)ドイツⅡ その78 エピローグ(12)ワルシャワ

⑧ワルシャワ:2017年5月4日(木)その1


・ベルリン郊外の街並みは、街路に面した赤い屋根の集合住宅の中庭にたっぷりの緑があった。2015年のイギリス旅行でも似たような街並みを見た。戸建て住宅よりもこのような集合住宅形式の方が土地を有効に使えると提案する、お知り合いの大学の先生もいる。戸建ての家を区画整理的に集約・換地して、外側を居住空間、内部を共有スペースとして中庭にするやり方は、地域のコミュニケーションや共助が必要となりつつある、高齢社会に突入した日本に合っている仕組みのようにも思える。


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・1時間後、プロペラ機はワルシャワ郊外まで来た。街路に面した建物はドイツと同じだが、中庭部分に更に建物が入れ子状態になっていた。


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・彼方に、一定の間隔を置いて超高層ビルが並んだ不思議な光景が見えてきた。ワルシャワの中心地区だった。これまで観てきた大きな街の高層ビルは一箇所にまとまって建っているが普通だった。いささか安易すぎかもかもしれないが、「ポーランドは人口が少ない上に使える平坦な土地がタップリあるからだ」と考えてみた。ポーランドは人口4000万、国土面積は日本より少し少ない32万km2、そもそも「ポーランド」は「平原の国」という意味の国名だそうだ。70%が山間地の日本から見ると羨ましい限りだともいえる。


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・郊外の集合住宅群は綺麗に並んでいた。

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・ポーランドの交通インフラの一端も見えた。この国は使用可能な土地がタップリとある感じだ。左手の高速道路のICは変則型のクローバ型、右手に鉄道も見えた。



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・プロペラ機は定刻より40分遅れて「ワルシャワ・ショパン空港」に着陸した。ポーランドは空港などの大きな施設には高名な個人名を付けるのが好きな国民性のようだ。クラクフは「ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ空港」、グダンスクは「グダンスク・レフ・ワレサ空港」・・・
「ワルシャワ・ショパン空港」はポーランドのハブ空港、ナショナルフラッグキャリヤのポーランド航空の拠点空港でもある。沢山のポーランド航空機が駐機していした。ドイツのルフトハンザ航空機やスイスのスイス航空機も停まっていた。


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・この空港は4kmの主滑走路1本、3kmの補助滑走路が1本だった。

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(出展 Google)


・ワルシャワ中央駅行きの電車は地下ホームから発車した。

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・沿線はピカピカでお洒落な建物が目立った。土地が広いのでユッタリとした余裕を感じる。新規投資が盛んな様子が伺われた。建物先行、街路は後付だった。


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・ワルシャワ中央駅付近にも新しいビルが目立った。

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・ワルシャワ中央駅も地下ホームだった。ワルシャワ・ショパン空港から都心まで約30分、4.4ズオティー(140円)と文句なしのアクセスだった。後で判ったことだが、この路線はワルシャワ市街地の約2km区間は地下化されていた。

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・ワルシャワ中央駅の1階はお洒落なショッピングモールになっていた。天井はドーム型の全面トップライト。2015年のイギリス旅行で行ったリーズの駅前と似ていた。


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・地上に出て驚かされた。昨日のベルリン中央駅の驚きを超えていた。この時に感じた衝撃的な感想が当日にフェイスブックにアップした記事からも窺える。ワルシャワはパリの街のような、スカイラインを揃えた伝統的な低層の建物が並んでいるものと勝手に想像していたからだ。


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・ホテルはワルシャワ中央駅から歩いて20分くらいの北西部にあった。


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(出展 Google)


・ワルシャワを代表する聖十字架通りの交差点には、古い建物が廃墟みたいに残っていた。同じような状況はワルシャワ中心街のあちこちで見た。


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・駅前地区の摩天楼とLRT・・・実に近未来的な光景だ。

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・聖十字架通り沿いには古めかしい建物群も残っていた。共産政権時代のアパートかもしれない。


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・しばらく歩くと、ピカピカのホテルが出来上がっていた。左手のツインビルは5つ星のホテル、右手はヒルトン・・・


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・ガソリンスタンドにはコンビニが併設されていた。イギリスと似ている。ドイツはコンビニがないので意外に不便だったが、このコンビニには大抵のものが用意されていた。レギュラーガソリンの値段は1Lで4.77ズオティー(148円)、日本より20円くらい高い。


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・ホテルの前の古い建物は廃墟化していた。これがワルシャワの現状だと感じた。ワルシャワの街は少しバブル状態にあり、いささかスプロール的な開発が進行しているように感じた。


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・夕食を摂るために市街地中心を歩いてレストランを探した。ワルシャワにも八重桜が咲いていた。


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・お洒落な広場のレストランで夕食にした。


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・都心にもスーパーマーケットがあった。このようなお店は旅行者にはありがたいものだ。


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・帰りに珍しい光景に出会った。当たり前かもしれないが、ドイツでは日本車はほとんど見掛けなかったが、ワルシャワではトヨタとマツダが仲良く並んでいいた。


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・ワルシャワの中心部はスクラップ・ビルドが盛んだった。2015年に旅行したイギリスのリーズを超えている感じだ。建設中の建物の脇には木製通路が設置されていた。日本では見たことがない光景だ。ポーランドでは木材が安く入手できるからだろう。


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・20時前、薄暗い街をホテルまで戻った。例のGSのコンビニに寄って明日の朝食などを買った。品揃えは実に豊富、日本のコンビニというよりスーパー並みだった。


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・サンドイッチ、コーヒー、水などを買い込んだ。全部で26.34ズオティー(820円)、ポーランドの物価は日本の6~7割くらいの感じ、旅行者には優しい街だった。
 500ccのペットボトル 1.99ズオティー(60円)
 カフェラテ        4.99ズオティー(150円)
 サンドイッチ       7.49ズオティー(230円)


・若い男性店員さんの対応はとてもフレンドリーだった。レジ横のホットスペースにコンドームが堂々と置いてあった。ポーランド人の性に対するスタンスは意外にオープンかもしれない。

当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月4日(木)ワルシャワは雨、温暖。
15時10分、エアベルリン8214便は1時間遅れでワルシャワショパン国際空港に到着した。ネイミングがなんか高知龍馬空港と似ている。
チャージが付いた60ユーロのバックパックも無事届いた。ATMで現地通貨ズウォテイーも入手できてとにかく一安心だ。
空港発の電車でワルシャワ中央駅に16時20分に到着した。初めての場所で切符を買い、発着所を探し当てるのは結構ハードルが高い。初心者でも1時間余りのアクセス時間と4,4ズウォテイー(130円)の料金は優れものだ。
ワルシャワ中央駅に降りたって度肝を抜かれた。ベルリン中央駅にも随分と驚かされたけど、こっちの方の驚きが大きい。駅の周囲はピカピカの斬新な高層ビルで取り囲まれているではないか。
しかも、建物のスカイラインを揃えようという観念など全く眼中にない感じだ。「ここまでやって大丈夫なの」とスカイラインに拘りの薄い日本人の僕が心配するくらいだ。去年行った旧東ドイツのライプチヒ駅前は、駅舎も駅前の建物も古典的な気分がタップリと感じられた。
『よくぞここまで突き抜けた。あっぱれ』という見方もあるだろう。
予約したホテルは駅から歩いて20分の新市街にあった。周囲にはお洒落な高層ビルが並んでいる。昨日行ったベルリンのポツダム広場のピカピカの気分に近い。
ワルシャワと言えば、古典的な建物が行儀よく頭を揃えている街だろうと思っていたら大間違いだった訳だ。
予約したのはホテルではなく、滞在型のアパートだった。建物に入る時と部屋に入る時、渡されたIDカードをタッチする。最初はやり方が判らず疲れと相俟ってキレ掛かったが、慣れると実に便利なシステムだ。寝室、リビング、ダイニングキッチンと浴室が付いている。50m2はありそうだ。家族連れで1週間くらい使うとリーズナブルな旅行ができそうだ。
とにかく疲れが酷い。明日、早起きして旧市街を観て、電車でクラクフに行く計画に変えた。

翌日は、早起きしてビィスワ川、旧市街を観て、お昼前にクラクフに行く計画に変更した。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-03-13 15:18 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月11日(日)ドイツⅡ その77 エピローグ(11)ベルリン

⑦ベルリン:2017年5月3日(水)その4


・シュロス橋(Schlossbrücke)はシュプレー川の派川運河に架かる小さな3連のアーチ橋だった。親柱の上には白の立派な彫像が建っていた。


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・運河脇に仮設の締切りが出来ていた。U5線の「博物館の島」駅の開削が始まるようだった。


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・運河沿いの道を南にあるホテルに向いて歩いて行った。歩いている時は単なる運河ウォーキングだったが、後で調べると運河やこの周辺が、意外にもベルリンの歴史を理解する上で、キーとなる場所だった。

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(出展 Google)

・Googleの地図にシュロス橋の袂に「ベルリン王宮」と記載される空き地があった。調べてみると、それとは知らずに歩いた運河河畔はかつてベルリンのヘソだった。運河は、東京でいえば、この運河は江戸城の内堀にあたるお堀といえそうだ。


Wikipediaから

ベルリン王宮はベルリン王宮(ベルリンおうきゅう、Berliner Stadtschloss)は、かつてドイツの首都ベルリンの中心部にあった宮殿。1701年からはプロイセン王国国王の、1871年からはドイツ帝国皇帝の居城であった。1918年のドイツ革命で君主制が滅びて以来、王宮は博物館として利用されてきたが、1945年の英米軍の空襲で焼失し、その廃墟は1950年にドイツ民主共和国(東ドイツ)政府によって取り壊された。

・王宮は下の図のピンクに着色された建物だった。


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(出展 Wikipedia)


・1688年、日本の江戸の元禄期にあたる時代、ベルリン城は直径概ね2kmの稲妻型のお堀で囲まれていた。ベルリン城はこれまで観てきたハンブルク、ブレーメン、リューベックと似た稲妻型のお堀で防衛されていた。王宮はシュプレー川の左岸側のケルン地区にあった。右岸のベルリン地区にはアレキサンダープラッツがある。ウンターデンリンデンは当時はお城の外にあった。ケルンはライン河畔の大きな街だが、古代ローマから栄えた歴史のある大きな街だったのでこの名前を借りたのかもしれない。確たるエビデンスはないが、江戸期の江戸城に例えると、ケルン地区は本丸御殿、ベルリン地区は旗本や親藩の屋敷、ウンターデンリンデン地区は宗教関係者や商工業者の仕事場みたいな職能別の住み分けがあったのかもしれない。稲妻型のお堀は、『総構え』と呼ばれる東京の外濠と同じ役割をしていたようだ。東京の外濠は東京の市街地の発展に伴い飯田橋~四谷、赤坂の一部の濠を残して埋め立てられて、外濠通りに変わっている。ベルリンも同様の理由からと想像するが、現在は稲妻型のお堀も埋め立てられている。内堀に相当するシュプレー川の本川と派川だけが残った状態だ。当時、シュプレー川は上水供給、産業舟運路の役割を果たしていた感じだ。現在のシュプレー川はベルリンの貴重な水辺空間となっており、観光舟運の舞台となっていた。河川の持つ役割が時代の要請で変化した典型的な事例だとも考えられる。王宮の隣にあるベルリン大聖堂がこの地図に記載されていないのは、何か理由があるのだろうか。


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(出展 Wikipedia)

・19世紀の王宮の絵には、彫像付きの親柱を持ったシュロス橋が描かれていた。シュロス橋の幅員は実にゆったりしている。


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(出展 Wikipedia)


・1900年の写真を見ると、王宮前の運河には恐ろしく立派な門があった。恐らく、第2次大戦の爆撃で宮殿も門も破壊され、誕生した共産党政権は政治的な理由から瓦礫を撤去したまま、その再建をせず現代に至ったものと考えらる。それにしても、宮殿前の広場は広大だ。3台の馬車が通行している様子も撮影されていた。大きいこと、広いことはそれだけで価値が高いことを示す貴重な写真だと感じた。それにしても、門を運河の中に造った理由は一体何か?


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(出展 Wikipedia)

・運河脇に説明書きがあった。1897年にはこの門が出来ていたことが判る。

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・説明書きの1652年の絵図を見ると、ベルリン城の骨格が出来上がっていたことが判る。お堀の中が旧市街で、お堀の外は森。ケルン地区には広大な庭園が出来上がっていた。1688年の絵図ではベルリン城の整備が完成していたので、シュプレー川本川と派川を利用して外濠を造るなど、36年間でベルリン城の整備事業が完成したということになる。フランスのルイ14世が活躍した時代にベルリンも負けずに都市整備に頑張っていたようだ。江戸城の整備は1590年の徳川家康の関東への国替えから始まったと言われている。総構えの外濠の完成が1636年、46年の年月を掛けて江戸城は完成したことになる。


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・説明書きの1798年のベルリンの絵図によれば、ベルリンの総構えにあたる外濠の外側は市街地と田園地帯が半々だった事が判る。ただ、稲妻型のお堀は埋め立てたてられていた。ベルリン都心への人口集中が始まったようだ。ウンターデンリンデンの南側には綺麗に区画された街路が出来上がっていた。ベルリンの外濠は直径が概ね2km、東京の外濠の直径は概ね4km、しかも、同時期の江戸期の東京は外濠を大きく超えて市街地が展開していた。江戸は巨大な都市だったといえる。

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・運河は本川が30m、両サイドの道路が10m、合計で50mのオープンスペースだった。運河沿いに道路があるので建物は運河を向いていた。写真左側がかつて王宮のあったケルン地区だった。水位調整用の自在堰?があった。堰の右岸の小さな構造物は魚道か閘門かもしれない。


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・かつてはベルリンの花形だったであろう運河は、現在は静かで地味な印象だった。「栄枯盛衰世の流れ」という諺を想い出した。物資の運搬手段が舟運、鉄道、道路と変遷した結果だと感じた。


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・ユングフェルン橋はメカニカルな跳ね橋だった。手動の巻き上げ機が付いていた。シュピテルマルクト駅の壁に昔の写真が貼ってあった。かつては産業舟運用に活躍した橋だったようだ。


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・説明書きに1909年当時のこの橋の写真があった。貨物船がこの橋の下を通過していた。この運河が運輸インフラとして活躍していた様子が判る。1912年に大衆車フォードT型が発売された。物資運搬の主役だった船や馬車から鉄道に替わる直前だろうか。


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・運河水面と道路面の高低差は3m弱、しっかり転落防止策が取り付けてあった。植樹がないためか、かなり無機質な眺めだったが、東京の神田川や日本橋川と違って建物自体は運河を向いていた。


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・シュピテルマルクト駅付近の運河はさっきの無機質感が薄らぎ、有機質な豊かさや賑わいも感じられるようになってきた。


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・運河ウォーキングのゴール、グリューンシュトラーセン橋が見えてきた。


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・グリューンシュトラーセン橋は、重厚な石造りのアーチ橋だった。

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・グリューンシュトラーセン橋の上から運河を眺めてみた。道路脇に植栽があるため親しみを感じる運河に変わっていた。やはり、水辺に木は必須アイテムだと感じた。両岸のコンクリート製の直壁護岸にはもう一工夫あってもいいかなと思った。ハノーファーの都市内の水辺は水辺のアクセスが良かった。部分的に階段式護岸を入れて、水辺のアクセスを確保するともっと良くなるだろうと感じた。


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・この日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月3日(水)ベルリンは晴れ、温暖。
ICE845号は定刻12時09分にベルリン中央駅に到着した。ピカピカの駅舎の巨大さに度肝を抜かれた。ハンブルク、ケルンやフランクフルトはホーム階は当たり前に1階だった。ところがこの駅のホーム階は上下に3層分くらいはあった。ワントップのドーム屋根で全面ガラス張りだった。
DBのインフォでホテルの最寄り駅への行き方を教えてもらい、Sバーン(都市近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄)と乗り継いでホテルの近くの地下鉄駅まで来た。
チェックインを済ませて14時30分から街歩きを開始した。Uバーンのポツダム駅で下車してミッテ地区を歩いた。ベルリンの壁は高さ4mのプレキャストのRC擁壁だった。ブランデンブルク門の前は大賑わいだった。連邦議事堂は巨大かつ風格に溢れた建物だった。シュプレー川は観光ボートが沢山運航していた。水辺のデサインは興味深いし、なにより観光舟運が盛んなのに驚かされた。ウンター・デン・リンデンの大通りには歴史的建造物が沢山建っていた。運河を南に歩いて18時にホテルに戻った。疲れがピークに達した。
明日のお昼過ぎにベルリン国際空港からワルシャワに飛ぶ。空港に上手くたどり着けるか心配だ。


・5月4日(木)、ベルリンからポーランドのワルシャワに向かった。テーゲル国際空港はベルリン市街地から近い場所にあった。地下鉄U2と路線バスの乗継ルートで、都心から1時間、2.8ユーロ(350円)のアクセスは、時間も値段も文句なしだった。


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(出展 Google)

・エルンスト・ロイター・プラッツ駅で下車して、路線バスを待った。


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・エルンスト・ロイター・プラッツ駅はベルリンの中心ミッテ地区にあるウンターデンリデン通りを西に4km行ったリング広場だった。パリの凱旋門みたいな広場で、ここから放射状に道路が伸びていた。ベルリン郊外のハブ駅といったところでだろうか。

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・路線バスから見たベルリン郊外の様子。


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・高速道路は日本と似たような感じだった。

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・テーゲル国際空港は意外にも地味目な空港なので少し驚いた。

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・テーゲル国際空港は、約3kmの主滑走路と2.5km補助滑走路2本の国際空港だった。意外にも小振りな国際空港でした。超過密スケジュールをこなすドイツ人の高い管制能力を感じた。


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(出展 Google)


・構内は一見すると、カラフルでお洒落だが、よく見ると屋根はデッキプレートを並べただけ、配管類はむき出しといった具合で、意外にも安普請な空港だった。これまで利用してきた羽田国際空港、上海プードン空港、フランクフルト国際空港のピカピカで豪華な空港との差異を感じた。

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・ほぼ5分間隔で国内便、国際便が出航する過密な時刻表だった。13時05分にはザールブリュッケン、カールスルーエ、クラクフ、プラハ、ウィーン行きの飛行機が同時刻に出航すると恐ろしく忙しい空港だった。流石にドイツを代表する国際ハブ空港だった。

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・出国審査はなく、10分程度の簡単な手荷物検査で搭乗ロビーに行くことができた。やはり、シェンゲン条約の加盟国間の移動なので出国審査はないということだった。この条約は加盟国間の人、モノが自由に移動できる取極め、国境を低くすることのメリットを感じた。この記事を書いている現在、EUとイギリスの離脱交渉が盛んに行なわれている。個人的には、何故イギリスがEU離脱を決断したのか、少し疑問を感じるが・・・。

空港の搭乗ロビーでにフェイスブックアップした記事・・・

5月4日(木)ベルリンは雨、温暖。
ホテルを9時半にチェックアウトした。ホテルのスタッフの指示どおりに地下鉄とバスを利用したら10時半と順調にベルリン国際空港に着いた。都心から1時間、2.8ユーロとはアクセスも値段も文句なしだ。
それにしてもテ-ゲル空港は随分と地味な空港だ。利用するターミナルCは倉庫を改造したような感じの鉄骨造りで天井がデッキプレ-トでできている。
13時10分発エアベルリン8214便はワルシャワに14時30分に着く。チェックイン、手荷物検査を終えて搭乗ロビーでこの記事を書いている。
シェンゲン条約の加盟国間の移動なので出国審査はないという事だろうか。国境がないのは旅行に限らず経済でのメリットも大きいだろう。ドイツのテレビでもフランス大統領選が毎日放送されていた。
チェックインの時、男性スタッフが40Lのバックパックには別途料金が発生するという。チケットカウンターで60ユーロを支払ってチェックインした。こんな事態は初めての事だ。
エアベルリン、高過ぎないかい?

・ワルシャワ行きの飛行機はなんとプロペラ機だった。意外にもプロペラ機は未だに活躍していた。機体自体の安さに加えて燃料代や整備費が節約できるメリットがあるのかもしれない。

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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-03-11 17:35 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月7日(水)ドイツⅡ その76 エピローグ(10)ベルリン

⑦ベルリン:2017年5月3日(水)その3

・シュプレー河畔から引き返して、ウンターデンリンデンを東に向かって歩いた。ウンターデンリンデンは「菩提樹の下」という意味の、ベルリンを代表する大通りだ。西側は完成形だが、東側は地下鉄工事や建物の補修工事が盛んな、意外にもリノベーションの通りだった。

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・中央分離帯に黄色の地下鉄新設プロジェクトの説明看板が掲示してあった。


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・ウンターデンリンデンは、先日テロが発生したバルセロナのランブラス通りと似た構造で、幅広の中央分離帯が公園になっていた。中央分離帯が20m、両サイドの車道と歩道が25m、全幅で70mの大通り。


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(出展 Google)

・中央分離帯で地下鉄U5の建設が行われていた。沢山の説明看板が設置されていた。建設工事は、土木屋の自分には興味深いけど、一般の人には有り難いこととは言えない。銀座の中央通りで地下鉄の新線を造るのと似ている訳で、地元の人や観光客にとってははた迷惑な話しだ。情報公開やお詫びの意味もあるのか、丁寧な説明がされていた。U5地下鉄プロジェクトはブランデンブルク門からシュプレー川を渡って「赤の市庁舎」まで約2kmのトンネルを新設する巨大プロジェクトだった。シュプレー川の支川(運河)と本川を下越する計画だ。ブランデンブルク門から既設のU55でベルリン中央駅まで行けるので交通の利便性が格段に高まるということだろうと考えてみた。プロジェクトのコンセプトは『THE SIGHTSEEING EXPRESS』(観光急行)と書いてあった。


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・ウンターデンリンデン新駅は開削方式で築造する長さ152m、深さ17mの地下駅。直交する既設のU6号線が一度撤去され、上部に再建される計画だった。東京メトロの丸の内線などの駅舎は、6両編成の地下鉄車両が納まる長さが必要だ。車両長を仮に20mとすると、20m×6両+20m(両サイドの余裕長)≒140m。日本の地下鉄駅舎の長さと似たような感じだ。


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・注目すべきは、ウンターデンリンデン新駅は中間スラブを入れず大きな吹き抜け空間を造る計画になっていたことだ。2016年に歩いたライプチヒの地下鉄駅舎と似た構造ではないかと思った。実に立派な駅舎だった。大阪の御堂筋線でこのような駅舎を見たことがある。日本の地下鉄駅舎は中床版と呼ばれる中間スラブを入れて、通路を造成するとともに、外壁の厚さを低減するのが普通だ。ホーム階には構真柱というスラブを支える太い鋼製の柱が付いている。中間スラブを入れると、そこにエキナカ的なモールもできるし、利便性も高まると思うが、ドイツではデザインを優先させるというコンセプトがあるようだ。


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・土木工事に係る仕事から離れて久しいが、自分の経験から推測すると、このトンネルは泥水シールド工法で築造されているのではないかと思った。水色の鋼管は泥水シールドの送排泥管だろう。離れた場所に設置した泥水再処理プラントに掘削した土砂と泥水が混じった流体を送る管だ。日本では地下に埋設するのが普通だが、ドイツでは架空配管だった。日本はタワークレーン主義、ドイツはジブクレーン主義というように、それぞれの流儀があるのが面白い。


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・シールド機の直径は6.7mとある。この断面では車両は1本しか入らないので、トンネルは2本掘る計画だと想像する。中央分離帯は20mあるので、2本分のトンネルを収めるスペースは問題なさそうだ。シールド機の面盤と呼ばれる顔の部分の外周にローラービット、内部にはティースビットが付いていた。日本のシールド機とよく似ていた。というか、日本がドイツのシールド技術を輸入したのではないかと思った。泥水シールドはマシンの先頭で掘削した土砂と泥水を撹拌して、坑外に流体輸送する掘削工法だ。そのためトンネル内には太い送排泥管が設置される。


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・この黄色い工事看板は、U5はU55と繋がるという意味合いかもしれない。左の絵柄は日本人には違和感を感じるが、ドイツでは同性愛や同姓婚が普通に認められていることだろうと思った。


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・中央分離帯内の工事現場にはドイツ人が好む固定式ジブクレーンが設置されていた。


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・ウンターデンリンデンに南北に交わるフリードリヒ通りの下に地下鉄U6号線が走っている。この街区は建物のスカイラインへの拘りを感じる通りだった。


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・大通りにはこんな感じの風格の溢れた建物が沢山建っていた。


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・フンボルト大学は、ベルリンの壁で仕切られた旧東ドイツ側の大学、世界的にも有名な大学だそうだ。唯、西ベルリン側にも同じような大学が並立していることからも東西冷戦の影響が今でも残っている感じだ。
 
ブリタニカ国際大百科事典から

ドイツのベルリンにある大学。 1809年フリードリヒ・ウィルヘルム3世のときフンボルトによって創設されたベルリン大学が母体となっている。初代学長のフィヒテのほか,シュライエルマッハー,ヘーゲルなどのすぐれた学者たちによって著しい発展を示し,ドイツ最大の大学となったばかりでなく,世界の大学の模範ともされていた。第2次世界大戦後東ドイツの管轄下におかれ,現在の名称に改称された。法学,農学・園芸,数学・自然科学,医学,哲学,神学,経済などの学部がある。教員数約 1600名,学生数約2万 2800名 (1997) 。なお,大戦後西ベルリンには旧ベルリン大学の教授,学生を中心にベルリン自由大学が設立され,ドイツ統一後も両大学が併立している。


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・ウンターデンリンデンから少し入った大きな広場の前に格調の高い建物が建っていた。フンボルト大学の附属図書館だという。恐れ入った。


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・オペラハウスはパルテノン風のファサードで、ピンクの壁が意外にもシックリと収まっていて違和感を感じなかった。建物や橋などの構造物の色決めは難しい。ピンクは意外に行けそうだと感じた。


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・オペラハウスは大々的なリノベーションの最中だった。


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・シュロス橋(Schlossbrücke)はシュプレー川の支川運河に架かる小さな3連のアーチ橋だ。工事中だったのでほとんど注意を払わなかったが、調べると、この橋はベルリン王宮が存在していた頃からある由緒ある歴史的な建造物だった。


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・親柱は、パリのセーヌ川に架かるアレクサンダー3世橋に匹敵する豪華さだった。その理由が少し判った。Schlossはドイツ語で「お城」、brückeは「橋」。Schlossbrückeは「お城の橋」という意味になる。ドイツの地名にはハンブルクみたいにBurg(ブルク)とつく地名が多い。日本語訳としては「城」だが、軍事的な目的をもつ建物で「城砦」といった方が当たっているらしい。一方、Schloss(シュロス)は 日本語訳としては「宮殿」、「王宮」、「城館」など、軍事的機能と政治的機能を併せ持つ城だそうだ。つまり、シュロス橋は江戸期に例えると、江戸城の「大手濠」に架かる「大手門橋」みたいな由緒ある橋ということだろう。


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・17時40分、ウンターデンリンデンの東側の端にある旧博物館まで来た。


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・ベルリン大聖堂は中央に巨大ドームを持つ巨大な建物だった。4隅に小さいドームが付いていた。ドイツ語で「DOM」と記載される教会施設は「大聖堂」だが、これまで観てきたドイツの「DOM」はゴシック様式でドームは付いていなかった。建物の東西軸もないこの大聖堂は明らかに別様式、その理由は未だ不明のままだ。


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・ウンターデンリンデンの先にはテレビ塔が見えていた。デュッセルドルフのテレビ塔と形が似ていた。同じテレビ塔でも東京タワーやスカイツリーとは随分と形が違っている。国によって流儀が違うということだろう。


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ここから運河を南に歩いてホテルに戻った。
以下、次号・・・・



# by camino0810 | 2018-03-07 05:58 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年3月6日(火)ドイツⅡ その75 エピローグ(9)ベルリン

⑦ベルリン:2017年5月3日(水)その2

・Sバーンのアレキサンダープラッツ駅は、ドイツではお馴染みになったワントップのドーム型の駅舎で、明り取りは天井と側壁、歴史がある駅舎のようだった。アレキサンダープラッツは新宿や池袋みたいなベルリンのハブ駅という気分があった。

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・アレキサンダープラッツの地下鉄駅から地下鉄U2号線でシュピテルマルクト駅へ向かった。ベルリンは巨大な都市だった。これまで見てきたドイツの街は、大聖堂や市庁舎を中心とした旧市街をコアにして市街地を大きくしていた印象があり、言わばへそのある一極的な構造だった。それに対し、ベルリンは、多極的な拠点を持つ大きな街であり、東京、パリ、ロンドンに似てハブ駅単位で街が出来上がっているという感じがした。


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(出展 Google)

・地下鉄のアレキサンダープラッツ駅は天井の低い駅舎で、東京でいえば、銀座線か丸の内線相当の地下鉄黎明期の古風なイメージがあった。U2という2番目のシリアルナンバーからも相当昔に築造された駅舎という感じだ。当時の開削技術では深い掘削が難しく、最小限の駅舎を造らざるを得なかったのではないかと想像した。


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・U2線は、車両もレトロで、車両幅は2m程度の恐ろしく小さい車両だった。座席に座った乗客同士の膝が触れ合いそうなくらいの狭さだった。たまに大江戸線を使うとこの車両の小ささに驚くが、U2にはそれ以上の狭さを感じた。この路線はシュプレー川を下越ししていた。シールド工事、締切工事などお金の掛かる仮設工事の節減や掘削残土の低減のためにトンネル断面を最小化したのでないかともと思った。土木機械の施工力の小さい時代のインフラはそれなりに小さめだったということだろう。


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・シュピテルマルクト駅もホーム階の天井も随分と低かった。

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・駅舎の壁には1888年(明治21年)の近傍の橋の写真が展示されていた。産業革命の真っ最中だったベルリンは明治中期には風格のある街並みと橋が完成していたようだ。この橋はシュプレー川本川に架かる橋だが、現在は新しい橋に変わっていた。


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・この橋は、シュプレー川の支川(運河)に架かる跳ね橋で、少し形を変えて現在も保存されていた。運河ウォーキングで出会った橋だった。


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・シュピテルマルクト駅は、ウンターデンリンデンから1km南にある街で、近代的な高層ビルが立ち並ぶ東京的な街並だった。


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・14時30分、ベルリンの街歩きを開始した。ホテルのあるシュピテルマルクト駅でU2線に乗車、ポツダム広場で下車してここからベルリンの核心部ミッテ地区を歩いた。

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(出展 Google)

・ポツダム広場は実に広々としていて、ピカピカの高層ビルが立ち並んでいた。これまで観てきたドイツの伝統的な街並みと違った異質な気分があったので正直驚いた。この広場は、フランクフルト、デュッセルドルフの新市街、パリのデフォンスやウィーンのドナウ左岸のオフィス街に似た感じで、駅周辺の一角は東京の街に似て建物のスカイラインへの拘りを捨てたような街並みだった。ワルシャワのワルシャワ中央駅付近や西側も同様で、建物のスカイラインを揃えようという意図はほとんど感じられなかった。欧州の大都市にはこのような容積率を緩和した新宿副都心みたいなピカピカの高層ビル群がある一角を設定しているパターンが多いようだ。


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・写真右手の総ガラス張りの三日月状の超高層ビルは、ドイツ国鉄(DB)。もしかしたら、DBの本社かもしれない。ベルリン中央駅も同じ色の総ガラス張りで、なんかデザインが似ていた。

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・その一方、南側の緑地帯の両サイドの建物群は見事に建物のスカイラインを揃えていた。都市計画などでゾーン分けでもしているのかもしれない。名古屋の久屋大通公園みたいな幅100mくらいの大通りがあり、そのど真ん中に三角形断面の不思議な形をした緑地帯があった。①ベルリンの壁の一部を形を変えて記念に残した。②第2次大戦の戦災瓦礫を埋めた。③ついでに覆土して防火帯も兼ねた都市公園にした。などと考えてみた。

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・ポツダム広場にベルリンの壁の一部が置いてあった。高さが3m程の逆T型のプレキャスト擁壁だった。1961年8月、ベルリンの壁は一夜にして完成したそうだ。一晩で長大な壁を築くには出来合いのものを並べるのが最も適している。ベルリンの壁に沢山の観光客がついていた。かつてこのラインに沿って壁が並んでいたようだ。


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・壁のモザイク模様は意外にもチューインガムだった。

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・ポツダム広場とその北にあるブランデンブルク門を結ぶ大通りはゆったりしていて、幅の広い歩道には、街路樹が綺麗に並んでいた。

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・大通りに沿ってに不思議な公園があった。様々な高さの、無垢の四角いブロックが無数に並んでいた。『虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑』は、ユダヤ人への慰霊碑のようだ。ユダヤ人はドイツでは迫害されたが、ポーランドではある程度受け入れられたという。

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・ブランデンブルク門は、5つの門を持つ実に格調に溢れた門だった。ベルリンの顔とも言うべき歴史的建造物だ。沢山の観光客が写真を撮影していた。ただ、思っていたより小さな門だった。歩測してみると門の幅は約35mだった。ちなみに、パリの凱旋門は幅45m、東大寺大仏殿は、幅が約60m。


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・ブランデンブルク門の屋根にはブロンズ製の4頭立ての馬車を操る天使像が載っていた。


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・ウンターデンリンデンはブランデンブルク門から東に伸びる長さ1.5kmのベルリンを代表する大通り。パリで言えばシャンゼリゼ、東京で言えば銀座の中央通り、スペインで言えばマドリッドのグランビア通り、バルセロナのランブラス通りといったところだろうか。彼方に見えているテレビ塔がこの大通りの端にあたる。


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当日にアップしたフェイスブックの記事・・・

5月3日(水)ベルリンは晴れ、温暖。
(省略)
チェックインを済ませて14時30分から街歩きを開始した。Uバーンのポツダム駅で下車してミッテ地区を歩いた。ベルリンの壁は高さ3mのプレキャストのRC擁壁だった。ブランデンブルク門の前は大賑わいだった。連邦議事堂は巨大かつ風格に溢れた建物だった。シュプレー川は観光ボートが沢山運航していた。水辺のデサインは興味深いし、なにより観光舟運が盛んなのに驚かされた。ウンター・デン・リンデンの大通りには歴史的建造物が沢山建っていた。運河を南に歩いて18時にホテルに戻った。疲れがピークに達した。
明日のお昼過ぎにベルリン国際空港からワルシャワに飛ぶ。空港に上手くたどり着けるか心配だ。


・ブランデンブルク門の西側に巨大な公園があった。公園の街路は5月の新緑、広々していて気持ちよく歩けた。ドイツの輪タクを初めて見た。似たようなものをパリでも見た。東京でいえば、雷門前の輪タクと似たようなものだろう。

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・ブランデンブルク門から国会議事堂、官庁街、シュプレー川を歩いた。

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(出展 Google)

・国会議事堂(連邦議会議事堂)は実に巨大で風格に溢れた建物だった。日本の国会議事堂も立派だが、ドイツ連邦議会議事堂も実に素晴らしいと感じた。ワシントンDCにあるロタンダと呼ばれる連邦議会議事堂に行ったことがあるが、この建物も実に立派だった。国権の最高機関を最大級に飾るのは何処の国も同じようだ。


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・国会議事堂は撮影位置を後ろに引かないと全景が入りきらないくらい巨大な建物だった。

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・議事堂に脇にはピカピカのお洒落な建物が並んでいた。連邦政府の建物ではないかと想像するが、東京で言えば、霞ヶ関の官庁街みたいなものだろう。

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・首相官邸を横に見ながら歩いて、再び、シュプレー河畔にやってきた。緩傾斜護岸の芝生にデッキチェアが沢山並んでいた。この川の観光舟運の盛んな様子にも驚かされたが、水辺自体の利用も盛んな様子が伺えた。

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・ベルリン中央駅で見た無機質な右岸河畔に比べ、左岸河畔は緑も多く優れた水辺だと感じた。

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・シュプレー川の左岸河畔を上流に向けて歩いた。対岸の再開発地区にはピカピカのお洒落な建物がスカイラインを揃えていた。シュプレー川の流路幅は約50m、左岸のプロムナードが10m、右岸10m。全幅で70~80m程度の運河だった。

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・クロンプリンチェン橋は1996年に完成した、ユニークの構造をした斬新なデザインの橋だった。3スパンのアーチの上路橋だが、鋼製の橋脚は初めてみる不思議な形だった。遊覧船の衝突防止柵は茶色の鋼管だった。


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・更に上流を歩いて行くと、不思議な光景に出会った。運河を横断する橋のような構造物は、両岸の政府系の建物を行き来できる通路ではないかと想像した。

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・連絡通路?は随分と大胆な設計だった。その下を今朝見た黄色い遊覧船が通り過ぎて行った。


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・若干、無機質な観も否めないが、これだけ近未来的でお洒落な水辺は見たことがない。ドイツはどちらかというと保守的なお国柄だと思っていたが、大胆に水辺を設計していた。運河水面と散策路の高低差は1m、転落防止策はない。その分、水辺へのアクセス性や親水性が高まっていた。

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・河畔の建物も実に斬新、一体誰が設計したのだろうか?シュプレー川の河畔再開発は、景観デザイン委員会のような組織でなにかしらのコンセプトで設計されたように思えた。

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・斬新な建物と斬新な水辺のコラボ・・・こんなやり方もありかと恐れいった。高々、20分足らずの川歩きだったが、シュプレー川の水辺は実に革新的だった。


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再び、陸域に戻ってウンターデンリンデンを目指した。

以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-03-06 10:02 | ドイツⅡ | Comments(0)