2018年3月3日(土)ドイツⅡ その74 エピローグ(8)ベルリン

⑦ベルリン:2017年5月3日(水)その1

・ベルリン中央駅の到着ホームは地下にあった。去年、今年とドイツの鉄道を随分と利用してきたが、地下ホームは初めてだった。そう言えば、ポーランドのワルシャワ中央駅も地下ホームだった。地下鉄駅舎を除いて、地下ホームの路線は日本ではJR東京駅の横須賀線、総武線、京葉線、JR上野駅の新幹線、新宿の小田急線、京王新線、JR大宮駅の埼京線、JR秋葉原駅のつくばエクスプレス線などが思い浮かぶ。交通需要が増して新しい線路を付加するには、地上のスペースがなければ地下しかない。限られた空間を立体的に利用するしかない訳だ。

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・去年行ったライプツィヒ中央駅はドイツ最大の駅舎を有する巨大駅だったが、ホーム階と駅舎が同一階だったので判り易かった。

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・人口350万、ドイツ最大の都市ベルリンの中央駅の駅舎はとにかく巨大、何処に何があるかさっぱり見当がつかなかった。地上2階に赤い電車が停車していた。Sバーンと呼ばれる郊外電車だった。


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・これだけ立体的な駅舎は初めてだ。これまで利用してきたドイツの駅舎は一階建てかせいぜい2階建てだった。とにかく、ベルリン中央駅は、日本でいえば京都駅や北千住駅に似た立体的な駅舎だった。

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・ベルリン中央駅の屋根はワントップのドーム屋根で、天井や壁が総ガラス貼りのピカピカの駅舎だった。あまりの斬新さにひどく驚かされた。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月3日(水)ベルリンは晴れ、温暖。
ICE845号は定刻12時09分にベルリン中央駅に到着した。ピカピカの駅舎の巨大さに度肝を抜かれた。ハンブルク、ケルンやフランクフルトはホーム階は当たり前に1階だった。ところがこの駅のホーム階は上下に3層分くらいはあった。ワントップのドーム屋根で全面ガラス張りだった。
DBのインフォでホテルの最寄り駅への行き方を教えてもらい、Sバーン(都市近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄)と乗り継いでホテルの近くの地下鉄駅まで来た。
(省略)

・ベルリン中央駅を降りたってすぐ南側のシュプレー川まで歩いてみた。ベルリン中央駅はピカピカでお洒落な総ガラス張りの駅舎だった。これまで観てきたドイツの駅舎はどちらかというと古典的なファサードが多かったので、正直、驚きの念を隠せなかった。


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・地上2階の郊外鉄道Sバーンは高架になっていた。

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・シュプレー川の歩道橋からベルリン中央駅を振り返った。実に広々と開放感のある駅前だった。駅周辺は再開発が盛んな様子が感じられた。成熟社会を迎えたドイツでも新規のインフラ投資が行われているのは、なんか示唆に富んだ事実だと感じた。

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・シュプレー川は恐ろしく観光舟運が盛んな運河だった。この日は平日だが、目の前を次々と観光船が通り過ぎた。シュプレー川自体が大きな川でないこと、橋の桁下空間の狭さから観光船はライン川の観光船に比べて小振りだった。

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・日本に例えると、東京駅の目の前を観光船が行き来することと同じだ。東京駅の八重洲口にはかつて外濠があった。今は埋め立てられてその面影すらも感じられなくなった。この記事を書いている2ヶ月少し前、ようやく日本橋再生の記事が新聞に出た。日本橋再生を契機に全国で水辺と都市が再生されるといいなと感じる。右岸側にはスカイラインを揃えた斬新な建物が並んでいた。

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・運河の右岸河畔はコンクリートで固めた複式の2段護岸、高水敷を遊歩道にしてあった。かなり無機質な水辺だと感じた。街中の植樹は必須アイテムではないと思ってはいるが、水辺には木の2、3本くらいあってもいいかなと感じた。ただ、水辺のポイントであるオープンスペース感は感じられた。遊歩道と運河の水面の高低差は2m程度……自分にとって転落防止策は何処に行っても大きな関心事だ。この運河ではなかなか巧妙な配慮?を感じた。欧州にあってドイツはどちらかというと日本型の河川管理に近いものを感じた。欧州の他の国は自己責任の考え方が浸透しているせいか、河岸と水面の高低差が4~5m近くあっても柵はなかったものだ。転落防止策は、高さ1mの黒い柵とブロックを混ぜて使っていた。写真のブロックは河岸から3m控えて設置されていた。ブロック自体は、リューベックのトラヴェ川河畔で見たものと似ていた。河畔を歩く人に最初にブロックによる警告を出し、これを越えた人は「自己責任ですよ」と黙示的に語っているように感じた。

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・運河を見終えて、再び駅に戻った。ベルリン中央駅で驚かされたのは、地下鉄が1路線しかなかったことだ。U55は発番順が遅いことからも比較的新しい地下鉄だと思われる。TXLはテーゲル国際空港の略称。

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・インフォメーションの係員からSバーン(都市近郊鉄道)に乗車して、アレキサンダープラッツ駅で地下鉄に乗り替えるよう勧められた。構内のトイレは1ユーロ(125円)の有料トイレ、相場の2倍だった。ただ、ペットボトルに水を補給できる無料サービスも付いているので、冷静に考えると悪いお値段ではない。500ccのペットボトルは2ユーロ(250円)くらいはするので、むしろお得な値段とも考えられる。

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・地上2階のSバーン(都市近郊鉄道)もワントップのドーム型屋根、全面ガラス張りなので採光は文句ない。この電車で3つ目のアレキサンダープラッツ駅まで行った。

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以下、次号・・・



# by camino0810 | 2018-03-03 06:37 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月24日(土)ドイツⅡ その73 エピローグ(7)ハノーファー

⑥ハノーファー:2017年5月3日(水)

・元々の旅程はツェレから直接ベルリンに向かう予定だった。幸い、良いお天気でもあり、折角の機会なので、ハノーファーで途中下車して1時間余りの街歩きをしてみた。ハノーファーは、ツェレの南西約40キロにある。ターゲットは、ハノーファー市庁舎、駅から片道30分で歩ける場所にあった。
・ハノーファー中央駅は人口50万の州都に相応しい優美で品格のある駅舎だった。

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・ドイツは連邦制の国だ。ハノーファーはライネ川沿いの北ドイツの主要都市でニーダーザクセン州の州都だった。ハノーファーはこれまで見てきたドイツの街と違って、旧市街と新市街の明確な区別はないように感じた。

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(出展 Google)


・ハノーファーは、駅前大通りに半地下の地下街をはめ込むなど工夫が感じられる街だった。駅に最も近い街路(バーンホーフ通り)が半地下のモールになっていた。中央分離帯にあたる部分を半地下の商店街にしてあった。初めて見る光景だったが、なるほどこの手もありかと感じた。路面に蓋掛けし下を地下街、上を道路や公園にするパターンが普通だろう。日本でいえば、大阪、名古屋や札幌の地下街が有名だ。ハノーファーでは、中心市街地への車の流入を意図的に抑えることでこのような形にできたのでは考えてみた。


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(出展 Google)


・半地下の駅前通りと交差する大通りも車を排除して人中心の道路にしていた。

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・街角のオープンカフェ・・・スッキリした広々とした広場は歩いていて気持ちが良かった。


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・駅前通りの外れが車のシャットアウト地点、これより駅側には一般車は入れないようにしていた。車道と歩道の段差をなくしたユニバーサルデザインにしていた。境目を曖昧にしている設計にも優れた配慮を感じた。


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・駅前通りの外れにマルクト教会があった。「マルクト」はドイツ語で「市場」という意味。「市場前の教会」という意味になる。ハノーファーには大聖堂はなかったが、中世からこの教会と広場がこの街の中心だったと感じた。手前の建物はリューベックでよく見掛けた赤レンガの建物に似ていた。ポーランドのクラクフにも似たようなファサードの教会を見た。


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・マルクト教会は、高さ98m、14世紀に完成した教会だ。素朴だが歴史を感じさせる建物だった。空から見ると十字架の形はないが、ファサードは西側、祭壇が東という大聖堂のルールに従ったようにも思える。


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・ファサードはシンプルな1本の尖塔で、出入り口だけが石造りで大部分は赤レンガ造りだった。教会周囲には伝統的な建物が頭を揃えていた。


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・わずかだが、旧市街らしき通りが残されていた。ツェレで見た、ドイツの伝統的な木組みの家と同じ建物が並んでいた。中世の建物を歴史遺産として保全しているように感じた。


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・旧市街を通り抜けたところに、こじんまりとした水辺があった。この小さい川はライネ川の支川だった。ライネ川はツェレで見たアラー川と合流してヴェーザー川になる。ヴェーザー川河畔には4日前に訪れたブレーメンがある。下流側は、左岸が緩傾斜の芝生護岸、河岸をいじった形跡はない。右岸は遊歩道になっていて護岸の直壁を少し嵩上げして転落防止策にしていた。


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・上流側は、水辺へのアクセスが実に良くできていた。階段と階段式護岸で水辺まで簡単にアプローチできる設計にしてあった。


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・写真左の建物にも狭いながらも階段を造って水辺のアクセスを確保してあった。建物の向こうにお目当ての市庁舎のドームが見えていた。


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・ライネ川に架かる石造りのアーチ橋・・・高欄まですべて同じ石材で丁寧に造ってあった。小さい橋でも手抜きをしていないぞというコンセプトを感じた。


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・大通りの交差点の傍には固定堰らしき堰が設置されていた。ハンブルクやリューベックの事例から考えると、中世の水車小屋用の堰かもしれない。現在は水位調整用の取水堰に改造したのかもしれないし、小水力発電としての利用があるのかもしれない。ゲートを落ちる水が一種のデザインになっていた。


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・交差点からライネ川の河畔を振り返ってみた。水辺を都市景観に上手に取り込んでいたように感じた。

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・10時、お目当てのハノーファーの市庁舎に到着した。市庁舎は、中央に大きなドームを持つ実に風格に溢れた建物だった。途中下車した甲斐があったと思った。去年、今年とドイツの街の市庁舎を見てきたが、ミュンヘン、ハンブルクの市庁舎に勝るとも劣らない立派な建物だった。


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・時間が来たので駅に戻った。カフェテラスは10時過ぎなのでガラガラだったが、歩道に常設できるようだった。日本では道路の法的な縛りがあってできないのかもしれない。


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・駅前通りの、車を排除する地点まで戻ってきた。車道は右にカーブしていて、まっすぐに前に伸びた道が歩行者専用の駅前通り。

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・ハノーファーの中心地区は建物の階数が5階程度と低めに抑えられていて、街全体に開放感のあるユッタリとした気分を感じた。


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・駅前通りは幅30m、歩行者専用の街路にしてあった。これまで観てきたドイツの街に共通した特徴だった。お洒落な建物は建物のスカイラインを揃えていた。電柱・電線などは勿論なく、スッキリした優れた街並みだった。


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・ドイツ国内に展開するベトナム料理のチェーン店があった。エスニックのお店はドイツでも人気のようだ。去年、ドレスデンの駅構内で八宝菜を食べたが、実に美味しかった。


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・駅前通り(バーンホーフ通り)は半地下のモール・・・実に良く思いついたものだと感心した。


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・ハノーファーにはウォルクスワーゲンの本社があった。そう言えば、シュツットガルトにはメルセデスベンツの本社がある。世界的にも著名な自動車会社が地方の中核都市にあるのも何かドイツらしいと思った。多極分散型の国造りを感じる。ドイツは南部の山岳地帯を除いて比較的平坦な国土であることもその要因だろう。側に川があって農地があれば何処でも街はできるようなイメージがある。かつてこの国が領邦国家の集合体だった影響もあるようだ。


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・当日にフェイスブックにアップした記事した記事。


5月3日(水)ハノーハーは快晴、温暖。
RE2号はハノーハー中央駅に9時14分に到着した。ベルリン行きのICE855号の発車時刻が10時31分、1時間余りの街歩きをしてみた。
観光旅行はお天気ですべてが決まる。つかの間の好天に恵まれて新緑が爽やかな街路や水辺を歩くことができた。思い付きで突然の変更をかけると失敗する事が多いが、今回は上手くいって良かった。
ハノーハーは人口50万の大都市、駅前通りに半地下の地下街をはめ込むなど工夫が感じられる街だった。ハノーハーの市庁舎も実に風格に溢れていた。ドイツ人は市役所の駅舎に拘る人種みたいだ。
このICEは、ベルリンに12時09分に着く。今回のドイツ旅行の締めは首都ベルリンにした。超巨大都市らしい。ホテルに行きつくまでに相当苦労しそうな気がする

これからドイツ最後の訪問先、ベルリンに向かった。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-24 10:11 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月22日(木)ドイツⅡ その72 エピローグ(6)ツェレ

⑤ツェレ:2017年5月2日(火)

・ツェレは、ハノーハーの北東約40キロ、ハンブルクの南120キロにある人口7万の地方都市だった。ヴェーザー川の支川アラー川の河畔にあり、下流には3日前に歩いたブレーメンがある。ツェレはドイツの伝統的な木組みの家が沢山並んだ『北ドイツの真珠』と呼ばれる観光地だった。

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(出展 Google)

・ホテルに向かう道路脇に小さい川が流れていた。ドイツは日本が進めている『多自然川づくり』のお手本とした国だと聞いている。確か、『近自然工法』という名前が付いていたと思う。ホテルの近くに流れている小川にもそのコンセプトらしきものを感じた。河岸は人工物がなく自然な感じに仕上げていた。排水口の出口は大きな石を並べていたし、生物への優しい配慮も感じた。

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・木製の階段を付けて、水辺のアクセスもしっかり確保していたし、河畔の遊歩道には気持ちよく歩ける配慮も感じた。これまでドイツの沿線の車窓からこんな感じの中小河川や小川を沢山見てきた。ドイツ全土に『近自然工法』が浸透しているように感じた。過度に手を入れることを避け、かといって放置しているわけでもない。ドイツ人の、川との程よい距離感は素晴らしいなと感じた。

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・ホテルの前で『ラウンドアバウト』に出会った。ラウンドアバウトの中央のリングは花壇になっていた。

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・予約したホテルは四つ星のお洒落なホテルだった。ホテルは観光スポットとは駅を挟んで反対側にあったためか、リーズナブルな値段で予約できた。今日のホテルもアーリーチェックインができて助かった。
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・13時30分、街歩きを開始した。沿道の民家の褄壁が丸裸になっていた。壁は構造材の材木の間に赤レンガを詰めただけで構造な工夫は感じられない。同じような絵柄はデュッセルドルフでも見た。耐震性には問題ありと思うが、地震のない国なので問題はないようだ。

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・ツェレの駅は途中下車したリューネブルクの駅舎と似た小さな駅で、可愛らしい気分があった。クリーム色の壁も何かいい感じだった。ドイツの地方の小都市の駅舎は何処もこんな感じだったと思う。

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・旧市街に隣接する公園のお堀脇の散策路を歩いてみた。とにかく、水辺が近い。芝生の手入れも文句なしに良かった。快適に歩くことができた。散策路は土舗装で人工物を排除した優れた公園設計だと感じた。

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・公園の中に懐かしいロゴを発見した。青地に黄色のホタテ貝はスペイン巡礼のロゴではないかと思った。去年のドイツ旅行でレーゲンスブルクに行った時、旧市街の中に『聖ヤコブ教会』を偶然見つけた。ドイツ人もフランス人と同様中世から熱心にゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いていたようだ。

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・公園の中心部にクリーム色の建物の立派な建物が建っていた。1530年に建てられたツェレ城だった。リューネブルクの領主でもあったツェレの大公のために建てられたお城だそうだ。お城というよりも館という感じがした。建築様式がユニークなお城らしい。写真左側の塔はゴシック様式、右がルネサンス様式だという。屋根の形の違いくらいは判るが、建築史には暗いのでそれ以外の違いはあまり理解できない。このお城も補修中だった。


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・お城の反対側がお目当ての旧市街の入り口だった。冷たい雨が依然として降り続いていた。


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・1740年のツェレの古地図を見ると、旧市街とお城はお堀と角々にある城塞で守られていた。ツェレは多角形の城郭を持つ城塞都市だった。ヴェーザー川の支川アラー川の水を巧みに引き込んだお堀で防衛していた。これまで見てきたハンザ同盟のブレーメン、ハンブルク、リューベックのような稲妻型のお堀とは違っていたが、ツェレの城郭の方が、ヨーロッパ全土でよく見られるパターンではないかと思う。領主と教会という欧州の二大権力構造がドイツの地方部でもよく浸透していたことを窺わせる絵図面だ。


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(出展:wikipedia)

・ツェレの旧市街には赤屋根の家屋が整然と並んでいた。赤屋根はすべて木組みの家だと思う。旧市街とそれ以外の地区が明確に区分されていた。同じことはリューベックでもいえた。ドイツは旧市街が赤屋根、新市街は別の色の屋根というルールでもあるようだ。赤屋根家屋の敷地が細長いことに気がついた。日本の旧街道沿いの家屋敷地と似ている。中世から税は道路沿いの占有幅で決められていたからではないかと想像する。

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(出展 Google)

・観光の良し悪しは天気で決まる。生憎、この日は冷たい雨が一日降り続いていた。4階建ての木組みの家が綺麗に並んでいた。この家々は16世紀の建てられたそうだ。


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・教会(写真左)と市庁舎・・・ドイツに入って5日目になると、市庁舎はドイツ語で『Rathaus』と書くことも判ってきた。白い尖塔の教会は1308年の作品。小さな町であっても、その中心は市庁舎と教会がセットになっていた。

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・木組みの家の同じような街並みが続いた。幹線道路は車道と歩道の混合交通だったが、枝道は車を排除して歩行者専用にしてあった。道路から車を締め出すのは賑わいを創出するいい方法だ。このやり方は、ドイツに限らずイギリスでもよく見掛けた。


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・建物は上階に行くに従って道路に迫り出していた。イギリスのヨークやカンタベリーでも同じ光景に出会った。道路の面する建物の幅に課税されるため、2階以上の部分を道路側に張り出して居住面積を稼ごうとしたのではないかと想像する。


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・無料の公衆トイレに入ってみた。ドイツの小便器は何処も脚なしタイプだった。合理的なやり方だと思う。子供用も準備されていた。

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・デジカメを落とすなど散々な目に逢った一日だった。雨の日に良いことはない。幸い、モニターが本体から外れても線が繋がっていたので、機能が消失してはいなかった。


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・『H&M』などのカジュアルなお店もツェレの伝統的な木組みの家に合わせたデザインにしてあった。

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・アラー川の河畔まで来た。分水施設など興味深い水インフラもあった。普段なら頑張ってもう少し観察を続けるのだが、冷たい雨が止まないので早々にホテルに帰ることにした。


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・新市街と旧市街の境目にはリング状の道路が走っていた。このリング道路は旧市街のお堀を埋め立てた道路だと想像する。これまで観てきたドイツの街によくあるパターンだった。

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・リング道路にもラウンドアバウトがあった。

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・沿道にはキオスクがあった。キオスクはドイツのコンビニという感じだった。看板にはアラビア文字の標記もあった。アラブ系の人たちが運営しているようだ。ドイツには日本のようなコンビニがない。その替わりがキオスクだが、日本と比べて店舗密度が低いのでいささか不便な思いをした。


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・当日にフェイスブックにアップした記事・・・冷たい雨に降られてあまり良い日ではなかった。


5月2日(火)ツェレは雨、肌寒い。
リューニュベルク発10時59分のIC2371号は定刻11時37分にツェレに到着した。今日のホテルもアーリーチェックインができて助かった。
13時30分に街歩きを開始した。ツェレの古風な木造の家並みも雨の中では色あせる。お城風の白い建物は補修中だった。デジカメを落としてモニターが外れかけた。遅めの昼食に選んだベトナム料理にはがっかりさせられた。とにかく、雨の日に良いことはない。
雨に日には2種類の人種が現れる。傘を差さないネイティブと傘を差すエイリアンだ。
旧市街の入り口にスティングの公演ポスターが貼ってあった。「ニューヨークのイギリス人」という歌を思い出した。歌詞にニューヨークではエイリアンのイギリス人が出てくる。このイギリス人は片面焼きのトーストを食べ、紅茶を飲み、杖をついている。ホントだろうか?
ネイティブはフード付きの防寒服で雨を凌ぐ。エイリアンの僕は傘をさす。ドイツの雨は降ったり止んだりの繰返し型なのかもしれない。イギリス人も傘をささないと聞いたことがある。
収穫といえば、ラウンドアバウトを3つ見たことくらいだろうか。今日1日でリューベックと合わせて5つのラウンドアバウトを見た勘定になる。信号要らずの交差点が、ドイツでは定着しつつあるのかもしれない。



・ホテルの部屋から見た朝の街の光景・・・建物はゆったりと配置されていて、建物の間のスペースは木や芝生で埋められていた。多分、ドイツの郊外は何処もこんな感じではないかと思う。ドイツの豊かさを感じた。

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・黄色の建物の左手に最初に出会ったラウンドアバウトも見えていた。

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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-22 07:04 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月19日(月)ドイツⅡ その71 エピローグ(5)リューベック

④リューベック:2017年5月1日(月)

・リューベック中央駅はドイツではお馴染みになったマルチトップのドーム型駅舎だった。「Hbf」は「Hauptbahnhof」(中央駅)の略称、地方の中心都市の中心部にある駅にこの略称を付けるのがドイツの流儀だった。

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・ドーム屋根を支えるアーチ状の鋼材はデザイン的にも優れていたし、構内はトップライトの開口が大きいので明るかった。

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・リューベック中央駅のファサードは緑の屋根に赤レンガの壁、こじんまりとしてはいたが、風格を感じさせる駅舎だった。リューベック旧市街にある聖マリア教会はじめ主だった宗教施設も屋根は緑、壁は赤だった。そのシンボルイメージを取り入れたのかもしれない。

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・駅前のバス停は宇宙船みたいな吊り屋根の斬新な形状だったが、周辺との違和感を感じさせない優れたデザインだった。リューベック市にはデザイン選定委員会?でもあるのだろうか。


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・駅前のラウンドアバウトの環状部は2車線だった。基幹道路の交差点をラウンドアバウトに変えたところを見ると、ドイツのラウンドアバウトはかなり普及しているようだ。


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・リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街だった。リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市だったが、中世にはハンザ同盟の盟主として栄えていたという。トラヴェ川、トラヴェ運河に囲まれた旧市街は大聖堂や教会があり、世界遺産にも登録された観光都市でもあった。旧市街は南北方向に約2km、東西方向に約1kmの楕円形、トラヴェ川で守られた中世からの伝統を色濃く受け継いだ街のように感じた。旧市街を囲む川や運河は例の稲妻型の形をしていた。稲妻型の堀や運河はハンザ同盟都市の定番の防衛パターンだと判った。ポーランドのグダンスクもハンザ同盟都市だったが、同じ稲妻型の運河で囲まれていた。

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(出展 Google)

・プッペン橋から見た外トラヴェ川の上流側の眺めは川と建物がしっくり納まっているなという感じだった。河畔公園の手入れも行き届いていた。この街の水辺に大いに期待できそうな予感を感じた。

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・ホルステン門は、リューベックのシンボリックな建物で風格の溢れる建物だったが、建物が肉眼でもわかるほど歪んで傾斜していた。建物の基礎にはトラヴェ川が運んだ柔らかい地盤に沢山の杭を打っているものと想像するが、1400年代後半の建物なので不同沈下が起きたようだ。


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・内トラヴェ川の河畔の赤レンガの建物群は倉庫だった。中世、リューベックはハンザ同盟の港湾都市として栄えていた。倉庫は階段状の屋根部分にも窓が付いている独自の建築様式だった。倉庫の対岸には船着場も整備され、観光船が停泊していた。


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・目の前を2隻の観光船が通り過ぎて行った。トラヴェ川の観光舟運は盛んな様子だった。


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・河畔プロムナードは車道と歩道がサイコロ状の大きなブロックで仕切られていた。車道が15m、歩道が15m、全体で約30mくらいだった。全体として幅30mの河畔広場が出来ている感じだ。このオープンスペースが河畔を歩く市民や観光客を快適な気持ちにさせるのだろうなと感じた。車道の端部は少し凹ませて側溝にしてあった。気の利いた設計だと思った。
・プロムナードと水面の段差は1m程度、護岸に転落防止策がないことに優れた景観上の配慮を感じた。転落防止策が高いと折角の景観を支障する。ドイツを含めて欧州は自己責任が基本ルールのように思える。一方、河川管理者としての施設の安全対策という視点も無視できない。ドイツ人はどちらかというと日本人の感覚に近いと感じた。段差が大きい場所には転落防止策が設置されていた。この場所は高低差が小さいので転落防止策を省略したようだ。
・歩車道の境界はサイコロ状の大きなブロックを置いてあるだけで、歩車道境界ブロックはない。車道と歩道の連続性を意図的に演出してるように感じた。街区側には階段状の屋根が乗った伝統的な建物も建っていた。建物の前に車道があるので、河畔の建物は、皆、川を向いていた。

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・トラヴェ川を横断する歩道橋はPC製、少しライズを付けて中央部に観光船が通れる桁下空間を確保していた。上流側の木橋も船の航行に必要な桁下空間を確保していた。


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・木橋の上から下流の眺めは文句なしに良かった。手前の単独の尖塔は福音教会、奥の2本の尖塔は聖マリア教会。

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・左岸(写真左側)にはお洒落でモダンな集合住宅が建っていた。いつも素晴らしい水辺を借景にできるとは何とも羨ましい限りだ。


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・旧市街側の街路は電線・電柱がなくスッキリしていた。建物のスカイラインも整っていた。坂道を登り切った高台が旧市街の中心部。旧市街の高台に続く坂道の両サイドには車がずらりと並んでいた。居住者用の駐車スペースかもしれない。


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・遊覧船が通り過ぎた。右岸(写真左)の芝生広場にも転落防止柵はない。

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・河畔の住宅は赤い屋根と白い壁で統一されていて、建物の高さも綺麗に揃えていた。芝生広場と水面との高低差はわずか、水辺のアクセスも文句なしに良い。自称川屋は洪水や高潮がどうしても気になったが、リューベック周囲に防災用の水インフラを探せなかった。トラヴェ川の流域は小さく、森林や農地主体の流域の保水性の良さや河川勾配が小さいため、洪水自体が非常に少ないのだろうと考えてみた。バルト海の高潮もリューベックまでは遡上しないようだ。


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・しばらく河畔を歩くと、旧市街の外れにあるリューベック大聖堂のファサードが見えてきた。この大聖堂は1230年完成、高さは115mだとか。

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・カトリックでは司教座のある大聖堂は街の中心にあり、臍の役割を持っているのが普通だ。これまで観てきたスペイン、フランス、イギリス、ドイツ各国での基本的なルールだった。ところが、リューベック大聖堂は何故か旧市街の外れの土地の低い場所に建っていて、どちらかというと地味な存在だった。ただ、ファサードは西方を向き、上から見ると一応十字架の形はしていた。この謎に対する答えを考えてはみたが、確たる根拠はない。

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・河畔を離れ大聖堂脇の湖の散策路を歩いた。湖の出口に水車小屋?が建っていた。水位差は約2m、水車を回して製粉や紡織をしていたようだ。大きな湖は多分、人造湖ではないか。ハンブルク市内の大きなアルスター湖は13世紀に造られた人造湖だった。製粉や紡織は生活のマストアイテム、同じような水車小屋はポーランドのグダンスクにもあった。


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・湖畔の散策路から見たリューベック大聖堂は文句なしに素晴らしかった。写真左の尖塔が気持ち傾いているようにも見えた。2本の尖塔同士を青い横棒で繋ぎ留めて安全を確保しているように思った。

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・トラヴェ運河の両サイドには散策路が整備され、水辺のアクセスも確保されていた。


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・中世の城門を再建したと思われる城門があった。城門の高さは20mと意外に大きい。リューベックは、中世から川とお堀とこの城門で外敵の侵入に備えていたようだ。リューベックの八重桜もちょうど満開を迎えていた。


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・別のラウンドアバウトの環状部も2車線だった。


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・郊外のホテルは、自分には不似合いなゴージャスなホテルだった。スタッフの対応、部屋の広さや調度品なども良かった。


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・13時にホテルを出発、トラヴェ運河を渡って旧市街の中心部を歩いた。


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(出展 Google)

・橋の袂を降りてトラヴェ運河の河畔を歩いてみた。河畔の砂利道は快適で、水辺へのアクセスも文句なしに良かった。

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・清洲橋に似た緑の橋を渡って旧市街に入った。丸いリベットを使った風格のあるアーチ橋で、橋面を吊る部材は鋼棒を使っていた。

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・旧市街には例の階段状の屋根が付いた建物もあった。左手に大聖堂前の湖を見ながら旧市街の中心部に向かった。今日は平日だが、祭日だった。湖で少年がルアーで釣りをしていた。こんな気持ちの良い場所で釣りをするのは最高に気分がいいだろう。

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・旧市街の街路樹は新緑を迎えたばかりだった。遅めの昼食はタイ料理にした。折角のいいお天気なのでテラス席にした。7.5ユーロ(940円)の八宝菜風のランチは美味しかった。ドイツでもアジアのエスニック料理が相当浸透しているようだ。

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・大通りの一番高い場所が旧市街中心部だった。広々した広場は気持ちがいいものだ。聖マリア教会の2本の尖塔が見えてきた。車道と歩道や広場の段差を無くし、敢えて境界を曖昧にしているのが気が利いているなと感じた。大通りの建物のスカイラインはそこそこ揃えられていた。赤レンガをイメージした外壁の建物が目立った。とにかく、電柱・電線がないスッキリした街を歩くのは快適だった。


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・池の境界を曖昧にした、この手の噴水は最近日本でも流行している。ライプツィヒやケルンでも見掛けた。


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・市庁舎の外壁は赤レンガではなく黒レンガだった。マルクト広場はこれまで歩いてきたブレーメン、ハンブルクに比べて小振りだった。隣りは巨大な2本の尖塔を持つ聖マリア教会だった。リューベックでは大聖堂よりも聖マリア教会の方が高い地位を占めているように感じた。


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・市庁舎に隣接する聖マリア教会は、尖塔の一部を足場を組んで補修中だった。聖マリア教会は、高さ125m、1250年~1350年に築造されたゴシック式の教会だそうだ。建設工期は100年、じっくり時間を掛けて赤いレンガを積み上げたようだ。この教会は2本の巨大なファサードや大きな聖堂を支える跳び梁がついているなどこれまで観てきた大聖堂に近い骨格を備えた大きな教会だった。2本のファサードはキッチリ西を向いてはいたが、十字架の形はしていなかった。旧市街地の真ん中の臍にあたる場所にあり、最も高い場所に立地している教会で、しかも市庁舎やマルクト広場も隣にある。自分の感覚だと大聖堂の方が相応しいと思うが、大聖堂は旧市街地の南外れの低位置にある。
何故か?

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・自分が考えた答えはこんな感じ・・・。
中世から近世にかけてリューベックはハンザ同盟の盟主として経済的な繁栄をずっと維持した商業都市だった。ハンザ同盟都市は中世の二大勢力である神聖ローマ皇帝とローマ教皇のいずれからも独立した地位を保証された自由都市だったという。この街は、自由なハンザ同盟の盟主、宗教よりも経済力が優位した結果、大聖堂は少し遠慮がちなスタンスにあったのではないかと想像した。
・リューベックの歴史は12世紀に街の建設が始まり、ハンザ同盟の盟主として北海・バルト海の交易で独占的な地位を占めたものの近世に入りハンザ同盟の衰退に追随して衰退したとある。リューベックの衰退は商業都市から工業都市への転換が上手く行かなかったからではないか。ハンブルク、ブレーメンは道路の替わりをする大きな川の恩恵を受けながら造船業を含めた産業インフラを発展させて街を大きくしたように思える。リューベックはある意味、時代の流れに上手く乗れなかったという観もあるが、街としての価値が消失したとは思えない。世界遺産に登録された旧市街をコアにして観光都市としての位置をしっかり維持している素晴しい街だと感じた。
・リューベックは南北2km、東西1kmと広くはない旧市街に随分と沢山の教会の尖塔が建っていた。これだけ塔が林立している街も珍しい。
何故か? 

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(出展 Wikipedia)

・自分が考えた答えはこんな感じ・・・。
リューベックの歴史を概観しても、司教座のある大聖堂があるにせよ、宗教的あるいは文化的な影響力が支配的な街であったとは言い難いように感じた。リューベックはハンザ同盟の盟主だったことからも基本的に商人の街だった。交易で財を築いた商人たちが競って塔の建設に寄進してその存在をアピールしたのではないかと考えてみた。豪商の競い合いの結果、沢山の塔ができたのではないか。ポーランドのグダンスクも商人の寄付でできた街ではないかと想像する。
・リューベックのドイツ語版のWikipediaに昔の絵図面が掲載されていた。1750年のリューベックは周囲を稲妻型の川と運河で守られた防衛力の高い城塞都市だった。ブレーメン、ハンブルクも似たような稲妻型の川や運河を持った城塞都市だった。稲妻型の堀は、ハンザ同盟の都市の形に共通した要塞都市の形だったと考えられる。

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(出展 Wikipedia)

・リューベック大聖堂は1942年イギリス軍の爆撃により破壊されたが、2本の尖塔の破壊は免れていた。爆撃で旧市街の建物も破壊されたと思われる。ブレーメンの大聖堂は爆撃で片方の尖塔が途中から折れていた。ドイツの都市という都市は連合軍の爆撃にあって破壊されたと思われる。現在の旧市街は、戦後、リューベック市民の手で元の姿に復元されたものだろう。ポーランドのワルシャワ、グダンスクも市民の努力で復元されたと聞いている。

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(出展 Wikipedia)

・リューベックの水辺はアクセスが大変良いのが特徴だった。裏を返せば洪水への防御力が小さいのではということになる。リューベックは河口から遡った場所にあるので、そもそも比較的標高が高い場所かもしれない。リューベックの周囲には放水路や遊水地のような洪水防御インフラが見当たらなかったので、トラヴェ川の流域は元々大きな雨が降らない地域かもしれないと考えてみた。あるいはトラヴェ川の流域が保水力の高い豊かな森林や草原で占められいて流域に降った雨の出方がゆっくりしているのかもしれない。旧市街はお椀を伏せた形をしていた。トラヴェ川やトラヴェ運河沿いの低い場所は一定の範囲までは冠水するのを覚悟の上で荷役施設、倉庫や住居を造ったのかもしれない。発生頻度が少ないであろう洪水被害よりは普段の経済的あるいは商業的な利便性を優先させた街づくりだったのかもしれない。
・同じハンザ同盟都市であるポーランドのグダンスクはバルト海に面して立地している。そのためポーランドの大河川ヴィスワ川の洪水が抜けず被害を出してきたという。ヴィスワ川には放水路が2本開削されていたが、その効果もあまり出なかったようだ。市街地の70%が海面より低いからだろう。
・木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する永島地区には輪中堤と呼ばれる特殊な堤防が残っている。洪水から生活を守るために集落毎に堤防を築いた。洪水を堤防で閉じ込める通常の発想とは真逆の、自らを堤防内に閉じ込める逆転の発想だ。中世のリューベックの絵図面には運河沿いに城壁を巡らせていた。城壁に軍事上の防御機能に加えて洪水防御も兼用させたのではとも考えられる。城門の出入り口にゲート(陸閘)を設置すれば洪水防御も可能だし、普段の経済活動にも支障がなかっただろう。現在、城壁が撤去され北側の城門だけが保存されているのは生活や経済の利便性が優先されたからだろう。Wikipediaには1904年の12月の洪水の記録写真が掲載されていた。旧市街の一部が冠水していた。ケルン(ライン川)やプラハ(エルベ川)には河畔の散策路に洪水防止板を嵌め込む支柱用の基礎があったが、リューベックでは確認できなかった。もしそうだとすれば水害を考慮する必要のない街なのかもしれない。

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(出展 Wikipedia)

・聖マリア教会の道路を挟んだ反対側に『ブッデンブローク家の人々』の舞台になった白い建物が保存されていた。トーマス・マンはリューベックの出身、そう言えば、『ブリキの太鼓』の作者ギュンターグラスもリューベック出身だ。ノーベル文学賞の受賞者を二人も生み出した街でもある訳で文化・芸術方面でも卓越した街だと思った。


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・旧市街の北側にある聖ヤコブ教会も屋根が緑色、壁はレンガの赤色だった。リューベックの宗教施設は屋根が緑、壁が赤で統一されていた。


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・旧市街北側の城門は多分復元された建物だろう。旧市街の防衛の要に相応しい大きな城門は高さが40mはありそうだ。城門と写真右手の河川港とは15m程度の高低差が付いていた。トラヴェ運河とトラヴェ川の合流点に建つ赤レンガの大きな塔は見張り塔兼灯台かもしれない。


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・内トラヴェ川沿いは河川港になっていて、赤レンガの倉庫が並んでいた。対岸にも大きなシップローダが2基設置され、赤レンガの倉庫が並んでいた。ハンブルクの河川港と同様、実体的には海という感じで、言われないと川だとは判らないだろう。


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・旧市街中心部にはヨットハーバー専用の岸壁もあった。河川港を維持するには堆積した土砂を浚渫して航路の水深を確保することだ。バケットエレベーターを装備した浚渫船も停泊していた。


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・ヨットハーバーと赤レンガの街並みが良く調和したいい水辺だった。


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・旧市街の中心部の内トラヴェ川水辺の眺めも実に良かった。写真左手(右岸)前の2本の尖塔は聖マリア教会、真ん中が福音協会、一番奥の2本の尖塔が大聖堂・・・。右手にホルステン門も見える。写真右手(左岸)には新しいお洒落な建物が建っていた。

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・この日は、祭日なので沢山の人で賑わっていた。生憎、日本の冬並みの寒さなので皆着込んで観光船に乗り込んでいた。ドイツ人は大人も含めてアイス大好きな国民のようだ。アイスクリーム店の前に沢山の大人が長い列を作っていた。去年行ったレーゲンスブルクでもアイスを買うために大人が長い列を作っていたことを想い出した。

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・内トラヴェ川左岸から眺めた対岸の聖マリア教会の2本の尖塔を背景にした旧市街の水辺の風景も素晴らしかった。絵葉書のような景色と言ってもいいだろう。晴天なら文句なしだっただろう。


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・朝最初に通ったトラヴェ川沿いの船着き場に戻ってきた。朝は快晴だったが、この頃は雲が出てきた。寒くても今日は休日、沢山の人がカフェで楽しんでいた。


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・河畔の散策路は歩行者優先らしき車道とカフェが占有できる歩道に分かれていた。河畔のカフェは常設のようにも思えた。ドイツの河川管理は承知していないが、日本でも河川範囲であっても一部の川では規制緩和を利用して店舗の常設が可能になってきた。


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・リューベック大聖堂と中世風の住居が並んだ水辺に絵葉書のような美しさを感じた。川と大聖堂、赤い屋根と白い壁の住宅が良く調和した優れた水辺だった。水辺のアクセスの良さにも驚かされた。世界遺産に登録された旧市街区域なので建物の仕様や改造についていろいろと縛りがあるとは思うが、それによって価値の高い水辺が維持されていることを住民の方も承知しているのではないかと思った。


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・ヴァル通りという運河沿いの車道には、スカイラインを揃えた白い集合住宅が並んでいた。大聖堂を借景にした居住環境は実に羨ましい限り・・・。


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・トラヴェ運河の外側にある旧市街外側のゾーンは、恐ろしく立派な戸建ての高級住宅街だった。ドイツ人の高い生活水準を感じた。


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・八重桜が満開だった。


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・たかだか4時間の街歩きだったが、リューベックの街の素晴らしさを堪能できた。

以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-02-19 21:20 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月17日(土)ドイツⅡ その70 エピローグ(4)ハンブルク

④ハンブルク:2017年4月30日(日)

・ハンブルクは人口180万のドイツ第2位の大都市で、中世からハンザ同盟の中心都市として繁栄してきたそうだ。お隣のヴェーザー川流域のブレーメンとはハンザ同盟の同志ということになるが、司教座(大聖堂)はブレーメンにあるので宗教的にはブレーメンの方が格上ということになる。
・エルベ川の河口から約100kmの内陸にありながらドイツ最大の港湾都市でもある。ブレーメンもそうだが、何故、臨海部ではなく内陸部に大きな港湾があるのか?日本人の自分から見ると、実に不思議だ。その理由はドイツの川の特徴にあるようだ。ドイツの川は、安定した一定の流量、川幅、水深が確保されているからだろう。

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(出展 Google)
・リューベックは、バルト海から内陸に約20km入ったトラヴェ川に面した港湾都市、これまで見てきたブレーメン、ハンブルクと共通点のある街だ。リューベックは人口20万の比較的小振りな地方都市だが、かつてはハンザ同盟の盟主として栄えたという。
・ハンブルク(人口180万)、ブレーメン(人口50万)、リューベック(人口20万)はいずれもハンザ同盟都市で、内陸に立地していて、河川港を持っている。歴史的、地理的に同じ状況にありながら、街の大きさに大きく差がついたのは何故か?

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(出展 Google)

・ドイツの歴史、政治、経済、文化など深く承知してはいないが、独断的な私見を敢て言わせてもらうと、川の大きさの差ではないと感じた。街の大きさは、エルベ川(ハンブルク)、ヴェーザー川(ブレーメン)、トラヴェ川(リューベック)の大きさとザックリ比例関係にあると考えてみた。鉄道、道路が発展するのはドイツの産業革命があった19世紀後半以降、それまでの物資運搬の主役は川や運河を利用した内陸舟運だったと考えられる。見方を変えれば川は道路であり、エルベ川を日本で言えば1桁台の国道、ヴェーザー川を2桁台の国道、トラヴェ川を3桁台の国道に当て嵌めると妙に得心できた。
・欧州の都市は、産業革命以降の都市への人口集中によって急速に拡大したと聞いているが、その都市基盤は産業革命以前からじっくり長い時間を掛けて造られてきたように思える。日本の大都市も江戸期にその骨格が出来上がっている。東京(江戸)、大阪(大坂)、名古屋(尾張)はいずれも川や堀が市街地に配置され、内陸舟運が発達していた。
・ハンブルクはエルベ川の流域に発達した大都市だ。エルベ川は流路1,100km、流域面積150,000km2の国際河川、上流にはドレスデン、プラハ、支川にはベルリン、ライプツィヒなどドイツの著名な都市がある。ドイツの国土面積が360,000km2、日本最大河川の利根川の流域面積が17,000km2、エルベ川は大河川だといえるだろう。

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(出展 Wikipedia)

・エルベ川はハンブルクの下流で河川幅が非常に大きく、2kmくらいある。その反面、ハンブルク上流で河川幅は極端に狭くなっていた。ハンブルク市内でエルベ川は南北2つの川に分派して、挟まれた地域に自然由来か人工物かは不明だが、沢山の河川や運河があった。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港も沢山あるし、随分と不思議な地形だ。
・日本では、似たような地形は狭窄部と呼ばれる両岸が急峻な山地形の上流側で見たことがある。淀川の山崎、北上川の一関も似たような地形になっている。ハンブルクのエルベ川には狭窄部らしい地形がなさそうなので説明がつかない。結局、ハンブルクはエルベ川の数千年前の旧河口に位置していて、それ以降の海面下降に伴い河口が現在の河口まで下がり、再度の海面上昇で現在の地形になったのでは?などと考えてみた。

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(出展 Google)

・市街地付近のエルベ川沿いの空き地には沢山のクレーンが建っており、再開発や新規の建設投資も盛んなようだった。ハーフェンシティの東端には斬新なデザインの建物が建っていた。

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・電車から見えた大通りの交差点は立体交差で、片方を地下化していた。高架形式だとブレーメン駅前の高架と同様、景観を支障しただろう。なかなかの配慮だと思った。

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・ハンブルク中央駅は半地下の駅舎になっていた。ホーム上の橋はホーム同士の連絡橋ではなく、街区の跨線橋だった。


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・ハンブルク中央駅の駅舎の巨大さに驚かされた。広々としたワントップのドーム型駅舎で、トップライトとサイドライトで採光してあった。ホーム上に、これだけ広くて、これだけ高い、無柱の内部空間を持つ駅舎は見たことがない。ドイツ、フランスなどで見てきた巨大な大聖堂の内部空間に通じるものを感じた。

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・ハンブルクにも八重桜が咲いていた。

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・ハンブルクの旧市街は、リューベックと良く似た構造をしていて、リングで囲まれていた。リングの直径は約2km、南面はエルベ川を利用した防衛力の高い都市国家だったのではないかと思った。西側のリングは幅200mの公園になっていて、ブレーメンでも見た稲妻型のお堀が残っていた。稲妻型のお堀はハンザ同盟都市の共通アイテムだった。このリングは防火帯や避難場所としても役立ちそうな感じだ。東側のリングは鉄道になっていた。ハンブルク中央駅が半地下構造になっていたのは、お堀を水抜きして再利用したからではないかと想像した。

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(出展 Google)

・ハンブルクのメーン通りであるメンケベルク通りの旧市街の建物群は新旧の建物が混在してはいたが、建物のスカイラインは綺麗に揃っていた。

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・スタバがパルテノン神殿風の建物に出店していた。観光地の一等地を占めるスタバの戦略を感じた。

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・聖ペトリ教会は、赤レンガの大きな教会だった。高さは132m、1516年に建てられ、火災で崩壊後、1978年に再建されたそうだ。ハンブルク旧市街には現代的な高層ビルはなかった。旧市街には建物の高さ規制があるのだろう。この教会は、ランドマークとしての役割もあるようだ。

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・ハンブルクといえば市庁舎、恐ろしく豪華な建物だった。ミュンヘンの市庁舎に負けないくらい立派な建物だった。1886年~97年の建設されたネオ・ルネサンス様式の建物だそうだ。ドイツ人の市庁舎への拘りを感じた。


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・市庁舎前の広場にEUの旗を持った人たちが集まっていた。訪問した時期はイギリスのEU離脱処理やフランス大統領選の時期、対抗馬のフランス人の女性はEU離脱を訴えていた。EU残留の引き締めキャンペーンのようだった。ドイツはEUの盟主、ドイツを代表する経済都市ハンブルクで決起集会を開いたということだろうと感じた。

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・市庁舎前広場に隣接した運河沿いの景観は文句なしに素晴らしかった。ここは内アルスター湖とエルベ川を繋ぐ運河の起点にあたる場所だった。運河の右岸はテラス席、左岸は階段式護岸、水辺のアクセスもしっかり確保されていた。


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・内アルスター湖の湖畔広場も素晴らしい景観に出来上がっていた。湖畔の建物のスカイラインは見事に揃っていた。

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・湖畔のプロムナードは幅が50mくらいあり、広幅の歩道を歩くのは実に快適だった。

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・Wikipediaに記載された1890~1900年の、この場所の写真を見て驚かされた。写真左の尖塔は聖ペトリ教会、右の尖塔は市庁舎。今から120年前にその骨格が出来上がっていて、現在もそのコンセプトを維持されていることが判った。

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(出展 Wikipedia)

・街歩きの最中、内アルスター湖と外アルスター湖という湖は一体何だろうという疑問が消えなかった。ネットで調べると、13世紀にアルスター川を堰き止めた人造湖だった。目的は水車を動かす動力用施設。中世、庶民の生活を支える製粉、織機の動力源ではないかと思う。自分は運河の閘門の水を供給するリザーバーだと思っていたが、見事に外れた。この湖が旧市街を防衛するリングの一部になっていることからも、お堀の一部を兼ねた防衛施設にしたように感じた。湖畔の幅の広いテラス状の階段に多くの人が腰かけ、湖の景色を楽しんでいた。遊覧船のミニクルーズもあり、観光客で賑わっていた。

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・内アルスター湖畔から運河沿いを下って、エルベ川に向かった。この運河は旧アルスター川を改造したようだ。運河の上流端には小振りな閘門が2基設置されていた。観光船は見掛けなかったが、運河脇にはテラスが設置されていてカフェ席が用意されていた。


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・運河は、幅30m程度、建物群は運河に背を向けていた。運河舟運が陸上運輸にとって替わられたためだろうか。運河と建物の間に道路でもあれば建物は運河に向かうが、そのスペースはない。東京の日本橋川、神田川、大阪の土佐堀川と似たような状況だった。ただ、運河沿いのプロムナードの連続性が確保されていたのでストレスを感じることなく運河沿いを歩くことができた。

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・建物と運河の離隔がある場所は斜路を設けて水辺のアクセスを確保してあった。

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・別系統の運河も建物は完全に運河に背中を向けてはいた。ただ、赤レンガの建物群自体に風情があるのでそれなりの水辺の風情を感じた。運河自体の幅が20mもない手狭な運河なので、いじりようがなかったのだろう。運河に蓋掛して2層河川にするやり方もあるが、そのまま運河を残したということだろう。

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・運河脇にある広場のオープンカフェは賑わいがあった。

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・エルベ河畔のハーフェンシティ地区の船着き場には沢山の倉庫が並んでいた。浮き桟橋の支柱が水面から10mくらい突き出ていた。エルベ川の水面の変動高さは相当大きいようだ。高潮か洪水対応だろうと考えた。

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・ハーフェンシティはドイツ伝統のクラシックをコンセプトにした再開発地区のようだった。ハーフェンシティには、リューベックの倉庫群とはけた違いに多くの倉庫が並んでいた。舟運⇒鉄道⇒道路という運輸手段のシフトの結果、運河沿い倉庫街の衰退や倉庫の老朽化対策かもしれない。奇抜なデザインのコンサートホールはハーフェンシティのシンボリックな建物だそうだ。Uバーン(地下鉄)の駅名はBaumwaLL(Elbphilharmonie)、エルベ川交響楽団という意味だろう。2017年1月にオープンしたばかりピカピカのホールだという。


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・Uバーン(地下鉄)のBaumwaLL(Elbphilharmonie)の高架ホームは見たことのない珍しい構造をしていた。駅舎を支える主桁が逆さアーチ型のトラスになっていた。初めて見る構造だった。普通ならアーチを上にするだろう。上のアーチ橋だとホームから眺めを支障するし、空や周囲の景観を圧迫する。土木屋の自分から見ると違和感を感じるが、ハンブルク市民にとってはこの方が有り難く思うだろう。


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・この日は日曜日でもあり、船着き場の河畔プロムナードは市民や観光客で大賑わいだった。河畔プロムナードは実に広々していて歩いていて実に気持ちが良かった。

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・エルベ川は川というより海といった感じだった。対岸には荷役用のクレーンが見えていた。この素晴らしい絵柄が撮影できて良かった。

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・プロムナードと水面までの高低差は10mくらいあった。流石に水辺のアクセスは無理、階段式護岸には沢山の市民や観光客が腰かけて水辺に風景を楽しんでいた。

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・運河沿いに大きな陸閘とパラペットがあった。陸閘の収納スペースをベンチにする工夫に1本取られた思いがした。陸閘自体は高さが2mと大きくはない。エルベ川の高潮か洪水対策だろう。

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・ドイツのガソリン事情・・・日本のガソリンは130円前後なので少し高いようだ。
 ディーゼル 1.069ユーロ(134円)
 ガソリン  1.289ユーロ(161円)

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・残念ながら、お目当ての聖ニコライ教会は総足場の補修中だった。欧州の街では歴史的建造物の補修がここかしこで行なわれている。仕方がないと諦めた。

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・聖ニコライ教会のファサードの高さは147m、旧市街で一番高い建物だろう。ユニークなのは、ファサードだけを完全に復元し、教会本体については祭壇の外壁の一部だけの保全に留めていたことだ。教会でありながら、大聖堂のルールに従って建物主軸は東西方向を向き、十字架の形をしていて、ファサードは西面にあった。

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(出展 Google)

・市庁舎裏手の運河で珍しい光景に遭遇した。お堀の直上を高架が覆っていた。てっきりハンブルクの首都高かと思ったが、Uバーン(地下鉄)の高架だった。この部分は市庁舎真下の地下駅の線路が地上に顔を出した箇所だった。この高架がお堀に被さり、スカイラインを揃えた建物景観を支障しているという見方もあるだろう。2017年7月に首都高を地下化して日本橋や日本橋川を再生しようという動きが始まった。

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・市庁舎裏手の路地でドイツ人お好みのジブクレーンを使ってビルを建設していた。

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・最近日本のマンホールの蓋が隠れた人気になっている。マンホール蓋に市の紋章とハンブルクの正式名称が記されていた。自由ハンザ都市ハンブルク(Freie und Hansestadt Hamburg)、恐ろしく長い名称だ。ハンザ同盟の独立都市として自由な経済活動を維持して発展したことが伺える。そういえば、フランクフルトの正式名称はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)。両市とも長い名前なので、さすがにしゃべり言葉で話す人はいないだろう。

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・市庁舎の裏手の広場で一休みした。裏手からの眺めも恐ろしく立派な建物だった。州議会も入っているとか・・・建物の構造はRCの躯体に天然石材を貼った感じだった。恐ろしく精巧な彫刻の飾りが表面を覆っていた。これまで見てきたミュンヘン、ドレスデン、ブレーメンなどの市庁舎や州政府の建物は実に立派だった。ドイツ人は市庁舎や州議会の建物に対する思い入れが人一倍強い国民かもしれない。


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・大通りから見たハンブルク中央駅、改めてこの駅舎の巨大さを実感した。

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・駅前の無料トイレで用を足した。ドイツも含めて欧州は無料のトイレが少ない。日本円換算で50円程度の有料トイレを使うしかない。何故、有料トイレか?日本はレストランでも無料の水が黙って出てくるありがたい国だ。欧州のレストランでは有料の水をオーダーする。意外にも高額だ。「水洗トイレには高い水が必要だ。なのでお金を取る」という風に理解している。

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・ハンブルク中央駅の構内のタイ料理屋で夕食にした。ドイツに入って3日目、ご飯が欲しくなる時期。八宝菜風のご飯は6.5ユーロ(810円)美味しかった。

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以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-17 11:24 | ドイツⅡ | Comments(0)