2018年2月14日(水)ドイツⅡ その69 エピローグ(3)ブレーマーハーフェン

※「ブレーマーハーフェン」(おまけ)

・ブレーメンはハンブルクに次いでドイツの第2の港湾都市だという。Googleの地図を見ると、確かにブレーメンはドイツ有数の観光都市だけではなく港湾都市、工業都市でもあった。ブレーメンはヴェーザー川の河口から内陸に60km入った都市だが、河口の「ブレーマーハーフェン」がブレーメンの外港の役割をしているようだ。

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(出展 Google)

・「ブレーマーハーフェン」はドイツ語で「ブレーメンの港」を意味するそうだ。ドイツではお馴染みの掘り込み型の河川港になっていた。

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(出展 Google)

・ブレーマーハーフェンの河川港にはユニークな産業インフラや水インフラが目立った。日本の造船業は陰りを見せていて、本業の造船業を止めて水門のゲートなどにシフトしている造船会社もあると聞いたことがある。ブレーマーハーフェンでは大型船を建造しているので、ドイツの造船業は元気があるようだ。掘り込み港湾の中で浮きドックや閘門が活躍している様子だった。掘り込み港湾は外海の波浪や高潮の影響を排除できるメリットがあるのかもしれない。
・河口に近い北側のA港湾ではヴェーザー川と掘り込み港は閘門で繋がっていた。閘門のゲートは水平スライド式で側面に、ゲートの収納スペースが設置されていた。これまであちこち閘門を見てきたが、このタイプの閘門を見るのは初めてだ。
・艤装中の長さ200mを超える巨大な船が浮きドックに乗っていた。日本では掘り込み型か陸上型のドックしか見たことがない。

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(出展 Google)

・別の掘り込み港湾内ではドライドック、浮きドックがセットになっていた。200mくらいの大きなコンテナ船らしき船が停泊していた。

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(出展 Google)

・B港湾南側も掘り込み型だった。ヴェーザー川との出入りは収納式の水平スライドゲート付きの閘門で行っているようだ。

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(出展 Google)

・スライド式の陸上ドックもあった。真横には艤装用のスペースが2基設置されていた。

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(出展 Google)

・湾奥には3基の浮きドックを持つ造船会社もあった。

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(出展 Google)

・ブレーメン市街地にもお馴染みの掘り込み港湾、荷役施設や工場があった。同様に、ヴェーザー川とは閘門で繋がっていた。

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(出展 Google)

・閘門のゲートはブレーマーハーフェン港と同じ引き込み式ゲートだった。

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(出展 Google)


・ブレーメン市街地のヴェーザー川の上流には川を横断する堰もあった。左岸には閘門、右岸には発電所と魚道らしき施設が設置されていた。閘門のゲートは日本でもお馴染みの観音開きのマイターゲートだった。

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(出展 Google)

・ヴェーザー川の河畔には赤茶けた工場があった。背の高い建物は高炉みたいで鉄鉱石と石炭らしき貯留所もあるので、多分、製鉄所だろう。日本の製鉄所はすべて臨海部にあるが、ドイツは内陸舟運が発達しているので内陸であっても川沿いなら製鉄所の立地が可能なのだろう。

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(出展 Google)

・ブレーメン空港は長さ2kmの1本の滑走路しかない小さな地方空港だったが、市街地から約5kmのアクセスの良さがある。ブレーメンは人口50万レベルの地方の中心都市だが、ドイツは元来領邦国家の集合体なので、地方中心都市にはブレーメンと同程度の産業インフラ、交通インフラ、水インフラが整っているのではないかと思った。

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(出展 Google)

2016年、2017年の2回、ドイツのライン川、ドナウ川、エルベ川、ヴェーザー川などを見てきて、ドイツという国の川に対する付き合い方が、少しだが判ってきたように感じた。
ドイツは、年間を通じて安定した降雨があり、川の流域面積が大きく、その結果として安定した流量があり、しかも河川の勾配が小さい。洪水もたまには起こるものの、ゆっくり水位が上がる。日本の急流河川とは基本的に違っている。
「ドイツは川と徹底的に付き合って、川といい関係を維持している。産業舟運、観光舟運、発電で川の恩恵を受けると同時に、環境に配慮した川づくりで河川環境を整え、川にお返しをする」
自称川屋から見ると、ドイツは大した国だと感じます。

以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-14 17:08 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月13日(火)ドイツⅡ その68 エピローグ(2)ブレーメン

②ブレーメン:2017年4月29日(土)

・ブレーメンは北海に注ぐヴェーザー川の河口から約60kmにある人口50万の大きな街だった。日本では「ブレーメンの音楽隊」で知られた街だが、中世に栄えた「ハンザ同盟」の加盟都市だった。
・ブレーメン中央駅は、赤レンガのドーム型ファサードは風格に溢れる建物で、ホームはマルチトップのドーム屋根だった。この街がこの地方の中心都市だという証拠だろうと感じた。

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・ブレーメンの旧市街は函館の五稜郭を思わせる稲妻型のお堀とヴェーザー川で囲まれていた。「ハンザ同盟」の同盟都市(ブレーメン、ハンブルク、リューベック、グダンスク)は何処も稲妻型のお堀で防衛していたことが判った。


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・ブレーメン中央駅で緑色のタオルを巻いているサポーター達がビールを飲んで騒いでいた。ドイツは地方の中核都市単位でサッカーチームがあり、日本のJリーグのお手本ではないかと思った。
・聖ペトリ大聖堂や市庁舎のあるマルクト広場で市が立っていた。「マルクト」という言葉はドイツ語で「市場」のことだ。デュッセルドルフでも同じだった。中世から大聖堂や大きな教会は行政、宗教、文化の中心だったように思える。

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(出展 Google)

・近在の人が集まって、市が立つのは当たり前だともいえる。日本の中世はお城が大聖堂の替わりであり、同じ道理だったと思う。

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・市場には北海のサケ、サバやニシンの燻製が並んでいた。野菜苗は日本の倍以上の値段だった。チーズ、ソーセージは意外にも高額、牛肉は高く、豚肉はその半額程度。

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・マルクト広場は生憎の寒さだったが、沢山の観光客で賑わっていた。写真の右手が聖ペトリ大聖堂、左の建物が市庁舎。古色蒼然とした佇まいの建物で、独特の建築様式だった。市庁舎は1400年代の建造物、ゴシックとルネサンスの混合様式だそうだ。ドイツ人は市庁舎への拘りが強い国民だと感じた。


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・リープフラウエン教会は煉瓦造りの大きな教会だった。「リープフラウエン」とはドイツ語で「愛する女性」という意味だそうで、キリストのお母さんである聖母マリアのことかもしれない。パリのノートルダム大聖堂の「ノートルダム」はフランス語で「私たちの女性(お母さん?)」と聞いている。どちらも母親に対する親近感や母性を示しているようで、ドイツ人もフランス人もキリスト教に対して似たような親密な距離感を持っているのかもしれない。


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・去年歩いたライプツィヒは格調の高いパサージュだったが、ブレーメンのパサージュは現代的なデザインだった。イギリスのリーズはもっと大々的なパサージュにしてあった。上手にリノヴェーションをして新しいものと古いものを融合しているように思った。


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・駅前には800mに亘って高架道路が設置されていた。ドイツでは珍しい光景ではないかと感じた。駅前の渋滞を回避するために立体交差にしたようだ。高架橋の柱はマッチ棒みたいに細かった。地震を考慮する必要のない国は幸せな国だと思った。東京の首都高ほどではないが、圧迫感を感じることは事実であり、空が見えないのは残念、折角のいい都市景観を支障している気もした。ドイツ人は道路の地下化が大好きな国民のように思える。事業資金が用意できればいずれは地下化するのではないか。


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・駅前は再開発中だった。ドイツ人は固定式ジブクレーンがお好みだった。
・ブレーメン中央駅の構内にはお寿司のお店があった。お寿司はドイツでも市民権を獲得しているようだ。

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・予約したホテルは都心から5km離れた郊外にあった。ホテルは駅から徒歩10分の住宅街の一隅にあった。郊外の街並みは綺麗にしてあった。多分、ドイツの街は何処でもこんな感じではないかと思う。

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・郊外電車を下車する直前、親切な中学生ぐらいの女の子の乗客が自分が置き忘れたポーチを届けてくれた。ドイツ人は総体に日本人よりも親切だと感じている。僕の回りのドイツ人は親切な人が多かった。
・ブレーメンにも八重桜が満開を迎えていた。個人の住宅の庭は、良く手入れされていた。

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・郊外のホテルの部屋から周辺の住宅がよく見えた。ドイツの個人住宅は屋根裏部屋が付いていて、実態的にはは3階建てになっていた。住宅は前庭付きの3階建て、側帯が駐車スペースになっていた。イギリスは2棟続きの戸建てが目立ったが、ドイツは戸建てがメーンかもしれない。


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・ドイツのタバコは20本入りで6ユーロ(750円)、日本は460円、かなり割高だった。建物内は完全禁煙だが、屋外ではかなり治外法権、フランス並みの緩さだった。

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・ブレーメンのトラムは3連の長いトラムだった。

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・旧市街の入り口の豚のオブジェ・・・旧市街は車を排除していた。

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・リープフライエン教会に「ブレーメンの音楽隊」のオブジェがあった。上からニワトリ、ネコ、イヌ、ロバの順。ロバの鼻をこすると何かいいことがあるようだ。

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・旧市街のすぐ脇はヴェーザー川で、素晴らしい水辺が拡がっていた。ヴェーザー川には幅20mくらいの河畔プロムナードが整備されていた。ヴェーザー川の川幅は概ね100m、隅田川より少し狭い感じだった。水はコーヒー色に濁ってはいたが、自分的にはほとんど気にならなかった。青々と澄んだ水が必ずしもマストアイテムとは限らない事例かもしれない。デュッセルドルフのライン川河畔は上下2段、下段の幅は約20mだった。河畔のプロムナードは幅が20m程度あれば、オープンスペース感やユッタリ感が感じられる。ちょうど、小型観光船に大勢の観光客が乗船中だった。観光船は長さ30m程度だったが、観光舟運が盛んな様子が伺えた。観光船は1日4回、1時間程度のクルーズのようだった。


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・聖ペトリ大聖堂は巨大な大聖堂だった。高さは92m。ファサードにはキリストの受難の様子を描いたフレスコ画?が描かれていた。マルクト広場から見た大聖堂も素晴らしかった。

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・第2次大戦で破壊された街の様子をみると、戦災で聖ペトリ大聖堂の2本のファサードの内、片方は途中から無くなっていた。

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・ドイツでも100円ショップ(1ユーロ)が流行っているようだ。イギリスでも同じような100円ショップを見た。

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以下、次号・・・



# by camino0810 | 2018-02-13 19:48 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2018年2月11日(日)ドイツⅡ その67 エピローグ(1)デュッセルドルフ

2015年のイギリスのエピローグの真似をして、2017年のドイツ・ポーランド旅行で訪れた各都市の印象やエピソードをまとめることにしました。延々と旅日記を綴ってきたけど、書いた記事の内容を書いた端から忘れる状況は昔から変わりません。
少なくとも点情報(街や観光スポット)の整理、点と点を結ぶ線情報(道路やその周辺)の整理くらいは文字に置き換えておくと後で想い出すのに便利です。
2016年のドイツ(中南部)と一緒に書こう思っていたけど、ハードルが高いので止めました。

 4月27日(木)羽田~上海
 4月28日(金)上海~フランクフルト~デュッセルドルフ
 4月29日(土)ブレーメン
 4月30日(日)ハンブルク
 5月1日 (月)リューベック
 5月2日 (火)ツェレ
 5月3日 (水)ハノーファー、ベルリン
 5月4日 (木)ワルシャワ
 5月5日 (金)クラクフ
 5月6日 (土)グダンスク
 5月7日 (日)フランクフルト
 5月8日 (月)フランクフルト~上海
 5月9日 (火)上海~羽田

訪れた各都市の印象や想い出をまとめてみました。

① デュッセルドルフ:2017年4月28日(金)

・デュッセルドルフは人口60万のドイツ有数の大都市、ルール工業地帯の中心都市として第2次大戦後国際的な商工業都市。それにしてはいささか地味な駅舎という感じだった。ドイツの【中央駅】と名前が付く駅舎はワントップかマルチトップのドーム屋根と風格のあるファサードが多かったが、この駅のホームは日本型の独立屋根方式だった。


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・デュッセルドルフの中心街はライン川右岸に拡がっていた。ドイツの街は旧市街を中心にして徐々に拡大していくというパターンが多かったように思う。新市街は旧市街の上流にあった。
・デュッセルドルフ市内には、ライン川の両岸に掘り込み型の河川港が沢山あった。ライン川が産業舟運路として現在でも活躍している様子が伺えた。
・デュッセルドルフの市内交通はトラムで、最近流行の芝生軌道もあった。

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・カールスプラッツという市場で物価調査をした結果、ザックリいうと、食品の値段は日本の2倍くらいという感じだった。魚は豊富だったが、お値段がべらぼーに高かった。ドイツ人はタコを食べるとは意外だった。

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・河畔のプロムナードは上下2段になっていた。上段は道路になってはいるものの、どちらかという歩道に近く、一般の車は制限されている感じだった。上段の真下に上下6車線分の道路トンネルが地下に設置されていた。デュッセルドルフでは、ライン川の右岸つまり旧市街側の河畔道路を地下に落とし込んで、上部をプロムナードに変えて、渋滞解消と水辺の観光価値を上げて、街の賑わいを取り戻したそうで、道路の地下化による大きいな成功事例とされている。低水部の通路は幅20m、高水部の道路は30m程度合計で50mのスペースがある。この広々とした河畔のスペースが実に優れているし、河畔の価値を高めているように感じた。河畔の散策路はライン川と一体になっており、じつに気持ちのいいオープンスペースが出来ていた。

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・2020年の東京オリンピックの迎えるにあたり、日本橋や外濠の再開発が最近注目されてきた。2017年の7月21日、日本橋の再生事業が本格的に動き始めたことが、新聞やニュースで報道された。日本橋は、歴史、文化、経済やインフラなどあらゆる意味において、日本のヘソなので、この地で品格のある街並みが再生される意義は極めて大きい。その効果は日本全土に及ぶかもしれない。
・上流のラインクニー橋付近は芝生広場から見た下流の眺めは実に優れていた。川→下段歩道(芝生広場)→上段歩道→プラタナス→上段歩道→建物の順に並んでいた。建物のスカイラインは5階建てでキチンと揃っていた。上段歩道は昔は道路だったので建物群はライン川にしっかり向いていた。下段の歩道には沢山のカフェが並んでいた。

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・デュッセルドルフには大きな橋が3本架かっていた。上流からラインクニー橋、真ん中がオーバーカッセラー橋、下流がテオドールホイス橋。いずれも斜張橋。市街地はラインクニー橋からオーバーカッセラー橋までの1.5kmにあり、地下化された道路トンネルはこの部分にあった。
・ライン川の流路は概ね300m、堤防の間で500~700mくらいはあった。対岸は水制工があって人工渚になっていた。
・ライン川は産業舟運も盛んだ。流速はザックリ毎秒1mはありそうだ。アゲンストの流れをものともせずに船たちが上流のケルンやフランクフルトを目指して上っていく。ザックリ、長さ100m、幅10m、総トン数2000tクラスの船舶が多いように感じた。

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・旧市街はこの街の売りになっていた。完全に車を排除した石畳の歩道に平日の午後にも拘らず人が沢山出ていた。教会はあったが、大聖堂はなかった。

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・上流側のトンネル入り口は新市街のライン塔の近くにあった。トンネルの直上にはピカピカの高層ビルがある。日本では道路直上にビルが建設された事例は新虎ノ門ビルの環状2号線くらいしか知らない。イギリス、フランス、ドイツでは、建物の中に道路を通してもいいような道路に関する法律や規則があるようにようだ。

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・旧市街では道路を地下に入れて地上を公園化する工事が行われていた。河畔プロムナードだけではないようだ。河畔プロムナードでの道路地下化が成功したので、2匹目の泥鰌を狙った事業かもしれない。都心部の交通渋滞を発生させる道路を高架にしたり地下化したりして、空間を立体的かつ重層的に利用する手法は、土地の高度利用に繋がり、土地の価値や周辺の街の価値を上昇させるようだ。工事にお金が掛かっても、それ以上の便益が生じるということだろうか。ドイツでは高架化よりも地下化を優先しているようだ。都市の立体的利用は高架化ではなく地下化、何故か?晴れの日が少ない欧州の人たちは、降り注ぐ太陽光や青空に対する拘りや憧れが強いからではないか。覆い被さる高架の橋梁は貴重な青空を遮蔽するし、都市の景観を支障するという考え方があるのかもしれない。

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・旧市街の道路は割石で舗装されていた。建物のスカイラインは揃っていて、電柱・電線がないのでスッキリした街並みだ。これまで歩いてきた欧州の街並みは何処でもこんな感じだった。

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・博物館に歓迎の言葉が並んでいた。上からドイツ語、英語、フランス語、日本語の順番、ドイツ人の日本人に対する好感度は悪くないなと感じた。

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・定置式のジブクレーンでコンクリートバケットを運搬していた。ドイツ人は定置式のジブクレーンがお好みだ。
・旧市街は路面電車の軌道跡が残っていた。車に加えてトラムも排除したようだ。人中心の街づくりを行っている感じだ。
・日本の食文化も大分浸透している感じだ。インマーマン通りは、日本のホテルや日本食のお店がある大通りだった。日本語の看板もあった。お寿司屋さんは大賑わいでした。ケータリングのお寿司は日本より相当に高価だった。カラオケボックスもあった。

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・デュッセルドルフには日本のコンビニのようなお店は見掛けなかった。その替わり、キオスクはよく見掛けた。スナック、サンドウィッチ、飲み物などがおいてあり、ドイツのコンビニみたいな役割をしている感じだ。それ以降、他の街でもキオスクを利用したが、アラブ風の人たちがお店をやっていることが多かった。

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・デュッセルドルフの街もあちこちスクラップ・ビルトが繰り返されていた。

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以下、次号・・・


# by camino0810 | 2018-02-11 18:05 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月9日(火)ドイツⅡ その66 上海~羽田

中国東方航空MU539便は定刻13時05分に上海プードン空港を離陸しました。

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長江は濁っていました。この河も一度は見てみたいと思っています。

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長江の中の島が見えました。


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日本海上空・・・

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ジェット機は日本海上空を横断して九州上空に達しました。飛行高度は10670m、気温ー44度。同程度の高度で九州はシベリア上空のー59度よりも15度も暖かいことになります。そのかわり、偏西風は時速172km(毎秒48m)、恐るべき風速です。フォローの風を受けて、飛行速度は1000kmを超えていました。


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ジェット機は出身地大分の国東半島を通過しました。中津、別府、大分などが懐かしい地名が表示されていました。

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ジェット機は房総半島から回り込んで東京湾に入りました。見慣れた懐かしい風景が続きました。薄曇りだったのが残念。

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千葉の幕張新都市・・・


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浦安のマンション群・・・

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東京ディズニーシーと荒川・・・

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葛西臨海公園の人工渚・・・


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荒川河口と京葉線鉄橋・・・

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若洲ゴルフリンクス・・・


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東京ゲートブリッジ・・・


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中央防波堤と風車・・・

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東京港とガントリークレーン・・・


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ジェット機は着陸態勢に入りました。


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無事、MU539便は羽田空港に定刻16時45分に到着しました。上海プードン空港から3時間半の飛行時間でした。


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到着ロビーに向かいました。

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よく考えると、羽田の国際空港ターミナルもピカピカでした。


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空港で13日振りに温水シャワー便座のお世話になりました。これまで欧州旅行でシャワートイレに出会った経験は一度もありません。欧州の人たちは、ひと昔前の紙で拭くスタイルを崩していません。


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日本固有の「脚付き型」小便器も13日振り。欧州は「脚なし型」で、「脚付き型」を見たことは一度もありません。最近、日本でも合理的な「脚なし型」を見掛けるようになりました。日本も昔は「脚なし型」オンリーだったと思いますが、生活が豊かなるに従った「脚なし型」が駆逐されて「脚付き型」に置き換わってきたように感じます。シャワーのあるなし、脚のあるなし、国ごと地域ごとに習慣は違ってはいますが、それぞれの流儀を尊重するのが大事だと思います。


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17時20分、構内の両替店でグダンスクで両替した140ユーロを含めた手持ちの160ユーロを日本円に両替しました。ユーロ⇒円は1ユーロは119円、円⇒ユーロは1ユーロ127円。両替の差額は意外に小さいものした。

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両替店の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていました。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントの到着を待っているようでした。

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当日にフェイスブックにアップした記事・・・

5月9日(火)羽田は曇り、汗ばむ。
MU539便は定刻16時45分に羽田国際空港に到着した。
4月27日に羽田を発って、13日振りに日本に戻ってきた事になる。空港の日本独自様式のおトイレで用を足して、人心地が着いた。
余ったユーロを円に替えるため両替屋さんに寄った。両替屋の前に沢山の若い女性が行儀よく座っていた。自分が見られているようでなんか恥ずかしいではないか。彼女達は、どうも韓国のイケメンタレントを待っているらしい。
モノレール、山手線で東京駅に出て、高崎線で自宅に戻る電車の中でこの記事を書いている。
通勤時間に当たったせいもあるが、東京の街は何とも人が多い。渋谷のスクランブルが外国人にとって東京のホットスポットになっているのは何となく理解できる。
ドイツ、ポーランドも良い国だったけど、日本も良い国だと思います(^^)

18時東京駅で高崎線乗車、19時に自宅のある駅に到着しました。
4月27日から13日間のドイツ、ポーランド旅行が無事終了しました。

以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-02-02 06:16 | ドイツⅡ | Comments(0)  

2017年5月9日(火)ドイツⅡ その65 フランクフルト~上海(2)

上海行き中国東方航空220便は定刻14時40分にフランクフルト空港を出航しました。上海着が翌日の7時20分着、フライト時間は10時間40分。

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食事は普通に美味しかったです。


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前の座席の背もたれに設置されたモニターで3D地図を見ながら時間潰しをしました。航路はロシア上空を通過する大円航路のようでした。


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ジェット機は北京の上空で上海に方角を変えました。

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モニターの飛行高度10673m、外気温ー59度、時速916kmなど飛行時の状況がリアルタイムに更新されます。
驚かされたのは偏西風の時速117kmという猛烈な風速、秒速10mの風が時速36kmなので、秒速換算すると秒速33mに相当します。帰りはフォローの風で楽ですが、行きはアゲンストの風、時速100kmを超える風も想像を絶するものがありますが、その風に逆らって時速800kmの速度を維持できるジェット機の推進力にも驚かされます。


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ジェット機は上海上空まで達しました。プードン空港は巨大な長江の河口にあります。


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ジェット機は定刻7時20分に上海プードン空港に到着しました。


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巨大なターミナルの通路を延々と歩いてトランジットの手続き場所まで移動しました。トランジットのセルフチェックインには戸惑いましたが、何とかクリヤーできました。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の検査官よりもフレンドリーだったように思いました。

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上海市内からの空港アクセスはリニア、高速道路、バスなど様々なアクセスがあるようです。

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時刻表には東京、羽田、沖縄、大阪、成田など懐かしい地名が沢山表示されていて、日本に近づいてきたことを実感できました。13時05分発羽田行きMU539便で帰国します。


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8時過ぎ、手荷物検査を無事終えて、待合ロビーで羽田行きの便を待ちました。13時05分発羽田行きMU539便までには約5時間の時間がありました。フランクフルト空港では空港の構造などを眺めながら時間潰しをしました。上海プードン空港でも同じことを試して時間を潰しました。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしていました。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっていて、アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージでした。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっているようでした。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続いていました。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうでした。アーチ橋は普通上に凸型の形をしてますが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしていました。確か、ハンブルクのハーフェンシティの地下鉄駅舎も逆さアーチ構造でした。

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5時間の時間潰しも結構辛いものがあります。搭乗ロビーで日記替わりの記事をFBにアップしました。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きます。開港は何時かは知りませんが施設はピカピカでした。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがしました。時折、日本語のアナウンスが流れてくるので、日本が近くなったことを実感しました。


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おなかが空いたので、搭乗ロビーのレストランで食事を摂りました。

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牛肉ライスは79元(1190円)はみそ汁とキンピラが付いた日本人にはありがたいワンプレート。総体に味が少し薄めでパンチに欠けていたのが残念、現地通貨の元は持っていませんが、カード使用がOKだったので助かりました。

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この空港では飲料水が無料で利用できました。中国や日本は、東アジアの温帯モンスーン気候で水が豊富な国、欧州では考えられないありがたいサービスです。星巴克珈琲(スターバックス)も出店していました。


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中国のおトイレは脚なし型、欧米と同じ合理的な選択だと感じます。

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島津製作所の宣伝がありました。1875年創業。中国語は簡単そうで理解するのが難しいです。

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羽田行きのジェット機の出航時刻が近づいてきました。

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当日のフェイスブックのアップした記事・・・

5月9日(火)上海は晴れ、気温は平年並みだろう。
フランクフルト発14時40分の中国東方航空220便は定刻7時20分に上海プードン空港に到着した。
トランジットのセルフチェックインには戸惑ったが何とかクリヤーできた。手荷物検査の担当者は去年の北京空港の人よりもフレンドリーだった。
まだ8時30分、13時00分発羽田行きMU539便までには時間があり過ぎる。
時間潰しも兼ねて搭乗ロビーでこの記事を書いている。それにしてもこの空港は巨大の一言に尽きる。開港は何時かは知らないが施設は新しい。世界第2位の経済大国に相応しい国際空港という感じがする。
この時刻は、ドイツ、ポーランド時間は夜中の2時30分に相当するので、今までは眠っている時間だ。11時間弱のフライトでもわずかにうつらうつらしただけなので徹夜状態でPCに向かっているようなものだ。
時折、日本語のアナウンスが流れる。日本が近くなった。
この搭乗ロビーの屋根の構造はユニークな形をしている。簡単に言うと、飛行機の翼のような屋根になっている。アーチ構造の梁に屋根を張り付けたイメージだ。アーチの支間は50m、下弦材がPC鋼線になっている。アーチ梁のピッチは10m、この梁が延々と続く。端が見えないので長さは1キロメートルくらいはありそうだ。アーチ橋は普通上に凸型の形をしているが、この空港では上下を逆さまにして下に凸にしている。
国際空港は国の威信を示すものでもある。世界中の空港を横並びで比べてみるのもなんか面白そうだ。

夕方には羽田に着くことができます。今回の2週間弱の旅行もようやく終わりに近づいてきました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2018-01-29 17:07 | ドイツⅡ | Comments(0)