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2019年6月8日(土)パナマ・アメリカⅡ その31 ピッツバーグ(5)

9時、専用バスはホテルを出発、最初にモノンガヒラ川河畔のステーション・スクエアに寄りました。ピッツバーグは、1970年代以降、衰退した鉄鋼業の工場跡地を再開発するとともに、医療、教育で復興した地方の州都であり、中核市でした。

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(ピッツバーク市街地:出典Google)

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(スミスフィールドストリート橋)

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(インクライン)

ステーション・スクエアに到着。

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(ステーション・スクエア:1859年の溶鉱炉)

衰退して、壊す寸前だった駅の待合を観光スポットとして見事に復活させていました。

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(ステーション・スクエア:旧駅舎の待合室)

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(歴史遺産登録証)

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(ステーション・スクエア:視察団)

インクラインに乗って、モノンガヒラ川左岸の高台に登りました。

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(インクライン)

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(歴史遺産登録証)

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(モノンガヒラ川とダウンタウン)

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(視察団)

比高差120mの高台から見下ろしたダウンタウンの景色も素晴らしかったです。

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(アレゲニー川とダウンタウン)

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(モノンガヒラ川とダウンタウン)

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(ハインツ・フィールドと潜水艦)

高台のお洒落で小綺麗な住宅地にも電線、電柱が当たり前に建っていました。30年以上もこの街に住んでいる日本人ガイドの方『アメリカ人は電柱が大好き、それも木の電柱』。電柱とアメリカ人の関係性を象徴するコメントでした。南部のヒューストン、ニューオリンズ、中部のノックスビル、北部のピッツバーグ、いづれも全く同じ状況、今回の視察の思わぬ成果でした。

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(高台の住宅街)

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(高台の住宅街と木製電柱)

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(ダウンタウンと東欧系教会)

専用バスは市街地東側の文教地区に向かいました。イーストカーソン通り沿いの街並みはディープな下町の気分がありました。

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(イーストカーソン通りのウクライナ人集会所?)

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(イーストカーソン通りのサンドイッチ店)

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(イースト・カーソン通り)

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(イースト・カーソン通り)

専用バスは市街地東側の文教地区に入りました。

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(温室)

ピッツバーグは学生の街でもあるそうです。郊外には大きな大学が2つありました。鉄鋼王カーネギーやメロンのドネーションで創設された大学で、『学びの聖堂』と呼ばれる巨大な超高層には驚かされました。『学びの聖堂』の隣に本格的なゴシック様式の教会があることにも驚かされました。医学部の附属病院が大通りに沢山並んでいました。毎年5000人の新入生があるそうです。

以下、Wikipedia・・・

学びの聖堂(まなびのせいどう、Cathedral of Learning)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ市東部、オークランド地区にキャンパスを置くピッツバーグ大学のメインの校舎。同学の哲学科、科学哲学・科学史学科、英語学科、宗教学科、社会福祉学科が本部を置いている。
学びの聖堂は42階建て、高さは163mで、大学の建物としては全米で最も高く、世界でもモスクワ大学のメイン・ビルディングに次ぐ第2の高さを誇る[1]。


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(学びの聖堂:左、ハインツ教会:右)

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(学びの聖堂)

専用バスはモノンガヒラ川河畔の高速道路を走りました。

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(モノンガヒラ川とSouth Tenth Street Bridge橋)

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(モノンガヒラ川と自由橋)

ペン・アベニュー沿いの街並みにはなんか下町らしい元気が感じられました。

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(乗り合いカフェ)

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(ペン・アベニュー)

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(ペン・アベニュー)

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(ペン・アベニュー)

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(ペン・アベニュー)

アレゲニー川のロベルトクレメンテ橋を渡りました。たかだか30万の地方都市に摩天楼を含めこれだけのハコモノ、インフラが揃っていることに改めて驚かされました。

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(アレゲニー川とハインツフィールド)

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(ハインツフィールドと地下鉄(高架))

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(ロベルトクレメンテ橋)

今回の視察旅行の最終目的地のニューヨークに向かうために、ピッツバーグ国際空港に向かいました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2022-05-29 12:50 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月8日(土)パナマ・アメリカⅡ その30 ピッツバーグ(4)

7時30分、ダウンタウンの先端にあるポイント州立公園に到着。

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(出典:Google)

ポイント州立公園は広々とした芝生広場でした。


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(ポイント州立公園)

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(ポイント州立公園の案内)

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(噴水広場)

モノンガヒラ川の左岸側は急こう配の崖になっていました。河岸段丘でしょうか。崖の上に建物が建っていて、橋からいきなりフォート・ピットトンネルになります。

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(フォート・ピットトンネル)

ポイント州立公園の先端からオハイオ川に架かるウエストエンド橋が見えました。右手のハインツ・フィールドはNFLピッツバーグ・スティーラーズのホームスタジアム。

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(ウエストエンド橋とハインツ・フィールド)

急こう配の崖を昇り降りするインクライン。

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(インクライン)

ポイント州立公園の先端部からハインツ・フィールドがよく見えました。河畔には転落防止策はなく、ライトアップ用の照明が設置されていました。

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(ハインツ・フィールド)

ドイツのライン川やエルベ川は今でも産業舟運が盛んで、たくさんの河川港があり、たくさんの貨物船が往来していました。休日の早い時間のせいかもしれませんが、ピッツバーグではわずかに貨物船や作業船が確認できた程度でした。19世紀の終わり頃、ピッツバーグはかつて鉄鋼王と呼ばれたカーネギーが興したアメリカ有数の「鉄鋼のまち」として栄えました。

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(貨物船、作業船)

大きな川は信号のない大きな道路みたいなもので、鉄鉱石や石炭、製品の運搬に舟運はもってこいの運搬手段ですが、ピッツバーグの産業舟運の温度は高くはないように見受けられました。アメリカのロジの主役は自動車にシフトしたのでやむを得ないことかもしれません。唯、ダウンタウンの下流10kmにあるオハイオ川の中の島には製鉄所?や石油基地が確認できました。取水堰と航路確保用の閘門があり、産業舟運は一応健在のように感じました。

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(出典:Google)

ダウンタウン上流15kmのモノンガヒラ川河畔にも大きな製鉄所がありました。同様に取水堰と航路確保用の閘門がありました。

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(出典:Google)

土曜日なので釣り人も。

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(釣り)

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(プレジャーボート)

河畔の転落防止柵は高さを低く抑えて水辺の風景を支障しないようにする配慮が感じられて良かったです。

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(河畔の転落防止柵とベンチ)

モノンガヒラ川の川幅は約300m。フォート・ピット橋はモノンガヒラ川に架かるアーチ橋で支間長は230m。

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(フォート・ピット橋)
高速道路のランプは川の中にあり、首都高みたいな感じです。

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(河畔の高速ランプ)

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(モノンガヒラ川の護岸)

河畔散策路は歩行者には歩きづらいものでした。車中心のまちづくりを優先させた結果かもしれません。

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(河畔散策路)

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(河畔散策路)

対岸に観光船乗り場が見えました。観光舟運は盛んなようです。

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(観光船と船着き場)

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(河畔散策路)

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(旧橋脚)

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(河畔散策路)

対岸にステーションスクエア駅が見えました。駅舎は観光スポットに変わっていました。ノックスビルと似ていましたが、アメリカの鉄道事情には厳しいものを感じます。かつてダウンタウンにも風格のある鉄道駅舎があったそうですが、その姿はなく地下鉄だけになっていました。

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ステーションスクエア駅

マイルトレーンが通り過ぎました。コンテナを積んだ貨物列車が延々と続きました。

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(マイル・トレーン)

スミスフィールドストリート橋は8を横にしたような不思議なかたちをした橋でした。建設期間は1881年から1883年、全長361 m、支間長110 m。

以下、Wikipedia・・・
スミスフィールドストリート橋は、米国ペンシルベニア州ピッツバーグのモノンガヒラ川を渡るレンチキュラートラス橋です。
橋は、後にニューヨーク市のヘルゲート橋を設計したエンジニアであるグスタフリンデンタールによって設計されました。スミスフィールドストリート橋は1881年から1883年の間に建設され、1883年3月19日に開通しました。[5] 1889年に拡張され、1911年に再び拡張されました。この橋は国定歴史建造物に指定されています。

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(スミスフィールドストリート橋)

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(スミスフィールドストリート橋の説明書き)

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(スミスフィールドストリート)

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(河畔散策路)

グラント・ストリートを歩いて、ダウンタウンにあるホテルに戻りました。

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(グラント・ストリート)

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(時刻表)


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(市庁舎)

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(アレゲニー郡裁判所)

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(ステール・プラザ)

8時10分着にホテルに戻りました。6時40分に出発したので、1時間30分のまち歩きでしたが、ピッツバーグのダウンタウンと水辺がそれなりに理解できて良かったです。

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(USスチール・タワーとホテル)

9時、専用バスでピッツバーグ市内を視察しました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-05-05 13:31 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月8日(土)パナマ・アメリカⅡ その29 ピッツバーグ(3)

朝6時40分に起きてピッツバーグの水辺をひとりで歩きました。視察旅行の団体行動と違って、単独行のまち歩きは自分の思い通りに歩けます。毎年、5月の連休を利用して2週間の行程でひとりで欧州のまち歩きをしてきました。緊張感もあり、すべては自己責任なのが自分に合ったやり方だと思っています。

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(出典:Google)

ホテルの居室からUSスチール・タワーが良く見えました。

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ピッツバーグのダウンタウンは車中心のつくりになっていて、歩行者にはいささか辛いまちでした。

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(左:ホテル、右:USスチール・タワー)

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(郵便局の裏手)

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(USスチール・タワー)

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(ガルフタワー)

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(高速道路のランプ)

最初は駅舎ではないかと思いましたが、実際は郵便局でした。

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(郵便局)

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(郵便局)

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(USスチール・タワー)

リバティー・アヴェニューを歩いて、アレゲニー川の河畔を目指しました。

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(リバティー・アヴェニュー)

リバティー・アヴェニューを折れて、9番ストリートに入って、アレゲニー川へ。生憎、再上流にあるレイチェル・カーソン橋は補修中。

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(レイチェル・カーソン橋)

(7番ストリート)

真ん中のアンディ・ウォホール橋の袂へ。

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(アンディ・ウォホール橋)

このあたりの散策路は「THREE RIVERS HERTAGE TRAIL」。
「THREE RIVERS HERTAGE TRAIL」とはピッツバーグを取り巻く3つの川(オハイオ川、アレゲニー川、モノンガヒラ川)を指すトレイルだと思います。アレゲニー川のレイチェル・カーソン橋、アンディ・ウォホール橋、ロベルト・クレメンテ橋は、三姉妹橋としてデザインを統一していました。三姉妹橋はかつて、古典的なデザインで、馬車で牽引する乗り合いが走っていました。モータリゼーションの進展に伴い、自動車中心の設計に変える必要が生じ、現在のデザインに変えたように想像します。

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「THREE RIVERS HERTAGE TRAIL」

アレゲニー川の左岸河畔を下流に向けて歩きました。

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(アレゲニー川河畔散策路)

アレゲニー川の川幅は250メートル。ロベルト・クレメンテ橋は全長270メートルの大きな鋼製の吊り橋。スパン割は中央スパン140メートル、端の支間は65メートル。

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(ロベルト・クレメンテ橋)

ダウンタウンの中心の街路は、アヴェニュー、川沿いはストリートと名前が付いていました。

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(ダウンタウン案内図)


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(アンディ・ウォホール橋)

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(ロベルト・クレメンテ橋)

4代目ロベルト・クレメンテ橋は、1928年完成し、同年に受賞した美しい橋。ロベルト・クレメンテ橋を渡って対岸まで歩いてみました。

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(1928年の受賞プレート)

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(ロベルト・クレメンテ橋の橋脚)

主ケーブルは、ブダペストの鎖橋や隅田川の清洲橋と同じで鋼板をピンで繋いだ伝統仕様。当時流行りの様式だったようです。

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(ロベルト・クレメンテ橋)

よくよく見ると、同じ1928年完成の清洲橋と良く似たデザインでした。

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清洲橋、出典:Wikipedia)


ロベルト・クレメンテ橋はところどころ錆が吹いていました。

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(ロベルトクレメンテ橋)

ロベルト・クレメンテ橋から対岸のPNCパークが見えました。

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(ロベルト・クレメンテ橋とPNCパーク)

アレゲニー川の右岸は、河畔に道路がないので、公園と河畔の散策路の分断がない良い水辺が出来上がっていました。

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(アレゲニー川右岸河畔)

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(ロベルト・クレメンテ橋とダウンタウン)

2021年、大谷翔平選手が二刀流で大リーグで大活躍をしました。PNCパークはピッツバーグ・パイレーツのホーム球場。大谷選手はリーグが違ってもオールスターでこの球場に来ることもあると思います。

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(PNCパーク)

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(ロベルト・クレメンテ橋とダウンタウン)


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(アレゲニー川右岸河畔)

ダウンタウンに戻ってきました。アレゲニー川左岸河畔は高速道路で分断状態。正直、河畔へのアクセスが良くありません。ドイツのデュッセルドルフケルンのように高速道路を地下に落とし込むやり方は水辺の賑わいを取り戻す良い方法ですが、お金や時間がかかります。

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(アレゲニー川左岸河畔)

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(ダウンタウン)

アレゲニー川とモノンガヒラ川の合流点が近づいてきました。アレゲニー川の最下流にあるフォート・デュケイン橋が見えてきました。

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(フォート・デュケイン橋)

アレゲニー川とモノンガヒラ川の合流点にあるポイント州立公園に到着しました。この公園は広々とした快適な芝生広場でした。

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(ポイント州立公園)


以下、次号・・・


# by camino0810 | 2022-05-01 10:02 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その28 ピッツバーグ(2)

19時30分、視察団を乗せた専用バスはピッツバーグのダウンタウンに到着。ピッツバーグは、人口30万とは思えない巨大な摩天楼の街でした。
ピッツバーグのダウンタウンは、アレゲニー川とモノンガヒラ川に挟まれた三角地帯にありました。

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(ピッツバーグの全体図:出典Google)

ダウンタウンのランドマークはひときわ高いUSスチール・タワー。そう言えば、ピッツバークはかつて「鉄鋼の街」として大いに繁栄した街でした。ニューヨークでいえば、かつて存在したワールドトレードセンターやエンパイアステートビルに相当する建物でしょうか。

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(ダウンタウン:出典Google)

ピッツバーグの概要・・・wikipediaより

ピッツバーグ(英語:Pittsburgh)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州南西部に位置する都市。アリゲニー台地上、アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流し、オハイオ川の起点となっている地点を中心に広がっている。ダウンタウンはその合流点近くの2つの川に挟まれた地帯に広がり、ゴールデン・トライアングルと呼ばれている。市域人口は302,971人(2020年国勢調査)[1]。アレゲニー郡を中心に7郡にまたがるピッツバーグ都市圏は2,356,285人、この都市圏にオハイオ州スチューベンビルの都市圏、および周辺の2つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,657,149人(いずれも2020年国勢調査)[2]の人口を抱えている。
(省略)
地元のNFLチーム「スティーラーズ」の名にも見られるように、かつては鉄鋼生産の中心地として栄えた。1970年代にオイルショック、1980年代中盤に安価な輸入鉄鋼が、それぞれ地域の鉄鋼業を衰退させた。メロン財閥とロックフェラー家は鉄鋼業に見切りをつけ、地域のハイテク産業・保険・教育・金融に投資をした。その経験は2007年に始まったサブプライムローン問題や世界金融危機でも生きた。全米のみならず全世界を巻き込んだこの経済危機の最中にあっても、ピッツバーグの住宅市場は比較的安定し、2008年に入ってもピッツバーグにおける求人は増加していた[6]。こうした再生の成功は、バラク・オバマが2009年9月に開催された第3回20か国・地域首脳会合の開催地としてピッツバーグを選んだ要素となった[7][8]。
ピッツバーグは学術都市でもある。カーネギーメロン大学・デュケイン大学・ピッツバーグ大学など、多数の大学が市内および都市圏内にキャンパスを置く。カーネギーメロン大学とピッツバーグ大学がキャンパスを置いているオークランド地区は、高等教育・研究機関や文化施設が特に集中している。

ホテルはダウンタウンのランドマークUSスチール・タワーの真横にありました。USスチール・タワーはピッツバーグで最も高い建物で外壁はスチール製。64階建てで高さ256メートル、1970年完成。

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(USスチール・タワー)

ホテルの部屋から見たダウンタウン。USスチール・タワーの向こうに見える3つの塔を持つ低層の建物は郵便局と裁判所。

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(ホテルの窓から)

BNY Mellon Centerは、55階建ての超高層ビルで、高さ221 m。この建物は、USスチール・タワーに次いで2番目に高い建物、1984年6月に完成。

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(BNY Mellon Center )

視察団のメンバー全員で歩いて、ダウンタウンの西側にあるステーキハウスまで歩きました。

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(USスチール・タワー)

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(市庁舎)

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(アレゲニー郡裁判所)

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(ダウンタウンの街路)

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(マーケット・スクエア)

ステーキハウスは格式の高いゴージャスなレストランでした。本場アメリカのステーキは赤身の熟成肉で、日本の霜降り肉とは違った味わいがあり、とても美味しかったです。


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(ステーキハウス)

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(会食場)

夕食を終えて皆で夜のダウンタウンを歩いて、ホテルに戻りました。

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(夜景)

マーケット・スクエアはたくさんに人たちで賑わっていました。今日は金曜日。アメリカにも「花金」があるのでしょうか。


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マーケット・スクエア

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(USスチール・タワー)

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(BNY Mellon Center )

22時前にホテルに戻りました。今日も移動の多いハードな1日でした。翌日は、朝早く起きて一人でまち歩きをした後、視察団とピッツバーグのまちを視察しました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-04-17 15:21 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その27 ピッツバーグ(1)


12時50分、専用バスはワシントンDCのホテルを出発、300km離れたペンシルベニア州のピッツバーグを目指しました。バスは、インターステート道路(高速)や地方道を走りました。途中下車して、アパラチアン・トレイルを歩き、カンバーランド道路(19世紀初頭に連邦政府が建設した有料道路)の料金所に立ち寄りました。

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(ワシントンDCで滞在したホテル)

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(出典:Google)

専用バスはワシントンDCのインターステート道路(高速)に入りました。

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(インターステート道路)


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(インターステート道路)

ポトマック川を渡って右岸のバージニアに入りました。川は写真上から下に流れています。

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(ポトマック川)

アメリカ国防総省(ペンタゴン)は、ポトマック川の右岸にあるバージニア州にある巨大な建物でした。

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(ペンタゴン)

このような大きな建物を太平洋戦争中に建設したアメリカの国力というか余裕には驚かされます。
以下、wikipedia
・建設期間 1941年~1943年
・事業費  8300万ドル(2015年のレートに換算すると13億3000万ドル=約1596億円)
・敷地面積 約236万 m2
・建築面積 約11万7000 m2
・延床面積 61万6540 m2
・階数 地上5階、地下2階

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(ペンダゴン:出典Wikipedia)

アーリントン墓地の脇を通過。

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(アーリントン墓地)

郊外に入るとお馴染みの電柱が現れました。変圧器が付いていました。上段が電線、下段が電話線だと思います。

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(電柱)


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(牧場)

専用バスは、フレデリックスの南側で再びポトマック川を渡りました。

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(グーグルマップ)

豊かな河畔林が水辺まで迫っていました。

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(ポトマック川)

地方道を走りました。ラウンドアバウトだと思います。

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(ラウンドアバウト)

車中で団長の家田仁先生からアメリカの道路について解説がありました。アメリカの行政単位は州(STATE)、郡(COUNTRY)、市(CITY)。基本的には各州で道路を管理、州を跨ぐ道路は連邦政府が管理。ルート66として知られた国道66号線は、シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた、全長3,755kmの旧国道で1926年指定。州間高速道路の発達によりその役目を終え、1985年に廃線となったとか。
日本の道路も同じで国、県、市がおのおの管理、首都高は県道(都道)の位置づけだとか。直轄国道は1桁~2桁の番号、補助国道は都道府県管理で3桁。
1776年にアパラチア山脈東部の13州がアメリカ合衆国として独立、19世紀初めには東部と中部を繋ぐ道路(馬車用)が完成。民間経営の有料道路(ターンパイク)も登場したそうです。ターンパイクとは、現在風にいうとETCの横木みたいな棒のことだとか。

ターンパイク【turnpike】
近代イギリスの有料道路。一般には高速道路,有料道路をさす英語であるが,元来は通行料徴収のために道路をふさいだ障害物,通行料取立門を意味した。中世以来教区が維持してきた公道は,産業革命初期の交通需要の急増に対応しきれなくなった。このため議会は,各地に財団法人trustを認可して道路建設にあたらせ,通行料の徴収権を認めた。これがターンパイクである。イギリス最初のそれは,1663年に認可されたハートフォードシャーからケンブリッジシャーへのもので,スコットランドでは1750年以降しかない。

アメリカ、ドイツの高速道路はナンバーで呼ばれているとか。そう言えば、欧州自動車道路は、Exxといった感じでナンバー制でした。日本の高速は東名高速、名神高速、東北道といった固有名称で呼ばれています。家田先生は、日本の高速道路のナンバー制の検討委員会の委員長を務めたそうです。基本的な考え方は、隣接する国道の番号をつけること。関越道は国道17号と並走するのでE17。東北道は国道4号線なのでE4。首都圏の環状道路である都心環状線はC1,中央環状線はC2、外環はC3、圏央道はC4。

アパラチアントレイルが近づいてきました。アメリカの地方部のまちの風景はどこも多分こんな感じだろうなというまち並みでした。住宅街の道路にもがっちり電柱が建っていました。

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(戸建住宅)


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(教会)

アパラチアン・トレイルで途中下車して、皆で少し歩きました。アパラチアン・トレイル(正式名称:Appalachian National Scenic Trail)は、アメリカ合衆国東部をアパラチア山脈に沿って南北に縦貫する約3,500kmの国立景観歩道。

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(アパラチアン・トレイルの入口)


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(家田仁団長)


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(トレイルの砂利道)

アパラチアン・トレイルは、安心して自然を楽しめる専用歩道でした。そういえば、2010年夏に歩いた「フランス人の道」と呼ばれるスペイン巡礼路は世界遺産にも登録された歩行者専用の道でした。車の往来を気にせず、歩きと風景に専念できる歩道はポイントだと思います。

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(高速道路を跨ぐトレイル)

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(トレイルで集合写真)

アメリカにはシーニック・バイ・ウェイ(景観側道)という景観道路制度があるそうです。1989年にシーニック・バイ・ウェイ法が制定。地域の風景、歴史、文化を保全し、地域の観光資源とする施策が出来上がっているようです。日本にもロマンチック街道、やまなみハイウェイや出雲神話街道、ドイツにはドイツのロマンティック街道などがありますが、アメリカの場合は、より広域的に複数のルートで行政と地域が連携して取り組むプログラムとして制度化されている点が特徴です。

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(高速道路インターステート68号の標識)

カンバーランド道路とは1811年~1839年に連邦政府により建設された有料道路。当時は自動車はないので馬車用の道路でした。カンバーランドは西部への入り口でした。

以下、Wikipedia・・・

カンバーランド道路(カンバーランドどうろ、英:Cumberland Road、またはナショナル道路、英:National Road)は、アメリカ合衆国連邦政府によって建設された初期主要改良道路の1つである。建設は1811年にメリーランド州のポトマック川沿いの街カンバーランドで始まった[1]。その後アレゲーニー山脈とペンシルベニア州南西部を越え、1818年にバージニア州(今日ではウェストバージニア州)のオハイオ川沿いホイーリングに達した。計画ではミズーリ州セントルイスを抜けてミシシッピ川のジェファーソンシティまで達する予定だったが、予算が尽きて1839年にイリノイ州バンダリアで工事が止まった。
カンバーランド道路とボルティモアを繋ぐ一連の有料道路が1824年に完成し、カンバーランド道路の東部延伸部と呼ばれるものを形成した。1835年、ホイーリングより東側の道路は有料道路として運営を各州に任されることになった。この道路はナショナル・パイクと呼ばれるようになり、ボルティモアまでの延伸部にもこの名前が当てられた。
約620マイル (1000 km) のこの道路はポトマック川とオハイオ川を繋ぎ、数多い開拓者達にとって西部への入り口となった。新しいマカダム舗装を使ったことではアメリカ合衆国で最初の道路だった。今日、その経路の大半はアメリカ国道40号線となっている。ボルティモアへの東部延伸部とセントルイスへの西部延伸部を含め、2002年にアメリカ合衆国運輸長官ノーマン・ミネタによって、この道路全体が「歴史ある国道」すなわちオールアメリカンロードに指定された[2]。

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(カンバーランドの旧料金所)

当時は幌馬車か荷馬車、トラックはありません。料金はfor every score of sheep or hogs(羊、豚1匹ごと)、for every score of cattle(牛1頭ごと)といった感じで、馬車に積む品物ごとにこまごまと料金が決められていました。計算も結構大変だったと思います。車種で料金を決めている現在の日本の有料道路とはずいぶんと違っていました。

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(料金表)

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(料金所の中)

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(集合写真)

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(西部への入り口と記された記念碑)

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(カンバーランドまで6マイルと記された道標)

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(料金所の説明書き)

専用バスは地方道を走ってピッツバーグへ。お馴染みの電柱がずらりと並んでいました。

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(電柱と地方道)

専用バスはピッツバーグ市内に入りました。

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(ピッツバーグ市内:South Tenth Street Bridgeとモノンガヒラ川)

専用バスは19時30分、ピッツバーグのダウンタウンに到着。

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(ピッツバーグのダウンタウン)

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(ピッツバーグのダウンタウン)

ダウンタウンのホテルにチェックイン。ひと休みして、皆でダウンタウンのステーキ店まで歩き、遅い夕食にしました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-03-22 21:04 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)