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2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その26 ワシントンDC(6)

ワシントンDCのメモ書きをまとめてみました。

1.ワシントンDCの過去と現在
ワシントンDCの歴史は、アメリカ合衆国の歴史そのものと考えても良さそうです。アメリカは1776年に本国のイギリスから独立。首都はニューヨーク、フィラデルフィアを経て、ワシントンDCに落ち着きました。1801年にワシントンDCが完成したとか。そのまち割りはフランス人ランファンの都市計画図が原点。ワシントンDCの第一の産業が観光で、最大の雇用主は連邦政府。連邦政府職員はワシントンDCの就業者数の約45%を占めているという都市は世界的にも稀有かもしれません。

以下、日本大百科全書(ニッポニカ)「ワシントン(市)」の解説から抜粋。

アメリカ合衆国の首都。1878年以来、ワシントン市の範囲と連邦直轄地のコロンビア特別区District of Columbiaの範囲が一致しているので、正式にはワシントンDCWashington, D. C.とよばれる。面積174平方キロメートル。人口57万2059、大都市圏人口760万8070(2000)。ポトマック川沿いにあり、北部と東部はメリーランド州、西部はポトマック川を隔ててバージニア州に接している。
・・・・・・
1790年、ワシントン大統領はメリーランド州とバージニア州から割譲されたポトマック川沿いの土地に、合衆国の首都として1辺10マイル(16キロメートル)のコロンビア特別区を建設することに決定し、フランス人のピエール・ランファンに首都の建設計画を作成させた。ランファンの計画は、連邦議事堂を中心に南北と東西のキャピトル・ストリートを基準にした碁盤目状の道路網(ストリートとよばれる)と、連邦議事堂やホワイトハウス(大統領官邸)などを中心とする放射状道路網(アベニューとよばれる)を組み合わせ、さらに各所に広場や公園を設けたものであった。
・・・・・・・・・46年にポトマック川右岸のバージニア部分はバージニア州に返還され、78年にジョージタウンがワシントン市に編入されたことにより、ワシントン市とコロンビア特別区の範囲は一致するようになった。南北戦争後にポトマック公園が建設されたのを初めに、20世紀に入ってからはランファンの計画と調和する公共建築物が次々と建設され、壮大なプランが実現されていった。
・・・・ ワシントンDCはアメリカ合衆国の行政・立法・司法の諸機関が集中した都市で、製造業はあまりない。第一の産業は観光で、最大の雇用主は連邦政府である。連邦政府の職員はワシントンDCの就業者数の約45%を占めている。連邦議事堂の周囲には議会図書館、最高裁判所、上院・下院議員会館が並び、連邦議事堂とホワイトハウスを結ぶペンシルベニア・アベニュー沿いには国立公文書館、司法省、FBI(連邦検察局)、国税局などが並び、連邦議事堂とワシントン記念塔の間にはナショナル・ギャラリーや、スミソニアン研究機構科学博物館群の自然史博物館、歴史技術博物館、航空宇宙博物館などが並んでいる。北西部のマサチューセッツ・アベニューには全世界の大公使館が集中している。また、貿易、労働、科学、教育などの国際的あるいは全米的機関や協会などの本部が集中し、ワシントンDCにある全米的機関や協会の数は約2000に達する。さらに、ワシントン記念塔(高さ169メートル)、リンカーン記念堂、トーマス・ジェファソン記念堂などの記念物や、タイダル・ベイズンを取り巻く桜並木、ポトマック川対岸のアーリントン墓地、無名戦士の墓などの観光資源に富む。ワシントンDCには、都心部の西約42キロメートルに位置するワシントン・ダレス国際空港と、南約5キロメートルに位置するワシントン・ナショナル空港があり、前者は国際線と長距離国内線の発着に使用されている。

一辺16km四方のダイアモンド型の市域は、アメリカらしい大胆さ、しがらみのなさを感じます。但し、ポトマック川の西側のバージニア(ピンク)は1846年にバージニアに返還。

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(ワシントンDCの市域図:出典Wikipedia)

ランファンの計画は、碁盤目状の道路網(ストリート)と、連邦議事堂やホワイトハウス(大統領官邸)などを中心とする放射状道路網(アベニュー)を組み合わせ、さらに各所に広場や公園を設けたものでした。

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(ランファンのワシントンDC計画図:出典Wikipedia)

2.ユニオン駅
ユニオン駅は、首都ワシントンD.C.の玄関口となっている鉄道駅で、1908年に完成した格調高い駅舎。ワシントンD.C.の観光スポットのひとつ。年間訪問者数は3200万人に上り、アムトラックの本社も駅構内にあるとか。

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(ユニオン駅完成予想図:出典Wikipedia)

開業時のユニオン駅のファサードは、ボザール風の風格に溢れる建物。

(1920年頃のユニオン駅:出典Wikipedia)

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(現在のユニオン駅ファサード:出典Wikipedia)

第二次世界大戦後、モータリゼーションと急激な進展と連邦政府が州間高速道路建設を推進したため、鉄道による旅客輸送が衰退したとか。アメリカ合衆国の多くの鉄道駅と同様に、ユニオン駅の経営は困難になり、それにあわせて建物としての維持管理も十分に行き届かなくなったそうです。確かに、ノリスダムの視察後に立ち寄ったノックスビルの鉄道も衰退していました。
1978年には案内所が閉鎖。 案内所が閉鎖された後のユニオン駅は屋根に穴が開き、待合室の床にはキノコが生える状態にまで陥ったが、1981年に保存・再開発法が成立し、修復と改装が始まったとか。ユニオン駅は、修復と改装を終えて1988年に現在の形で営業を再開。かつての駅空間はレストランや店舗に転用され、ユニオン駅は再度ワシントンD.C.で最も繁華で良く知られた場所となり、年間3,200万人が訪れているそうです。ユニオン駅の再開発の成功は、米国の他の都市における駅再開発計画のインセンティブになったそうです。

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(ユニオン構内通路:出典Wikipedia)

現在のユニオン駅は、北東回廊( Northeast Corridor:ワシントンD.C.からボストンまで735kmを結ぶ鉄道路線で、アメリカ国内で乗客数および列車運行本数が最大の路線)の南端の終着駅となっています。日本でいえば、東京と大阪結ぶ東海道本線みたいな位置づけでしょうか。停車駅はボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン。北東回廊のリニア化も構想されているようです。

3.エアー大聖堂
2013年1月に初めてワシントンDCの歩きました。市内にあるナショナル空港から帰国しました。飛行機の窓からモールの風景を見下ろした時に、モールの造りはもしかしたらエアー大聖堂ではないかと思いました。

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(エアー大聖堂?:https://camino0810.exblog.jp/21723216/

これまでたくさんの欧州のまちを歩いてきました。旧市街の中心部には必ず大聖堂があり、旧市街を囲うように城壁(リング)がありました。大聖堂は空から見ると、必ず十字架の形をしていて、身廊と呼ばれる大聖堂の中心軸の西側がファサード、東側が祭壇というルールがありました。

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(カンタベリー大聖堂の事例:https://camino0810.exblog.jp/24938613/

モール地区は東西4km、南北2kmの広大な広場ですが、自分にはエアー大聖堂に見えます。多分世界一大きい大聖堂ではないかと勝手に想像しています。十字架の交点は建国の父を祀るワシントン記念塔(高さ169m)、西側のファサードがリンカーン記念堂、東側の祭壇が連邦議事堂、北側がホワイトハウス、南側がジェファーソン記念堂。

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(巨大十字架?:出典 google)

12時50分、専用バスがホテルを出発、次の目的地カンバーランドに向かいました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-03-13 13:07 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その25 ワシントンDC(5)

国立航空宇宙博物館の見学を終えた後、モールの公園を挟んで向いにあるナショナルギャラリーに入館しました。

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(出典:Google)

モールはワシントンDCの芯の部分にあるので、公園から連邦議事堂やワシントン記念塔が良く見えました。

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(連邦議事堂)

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(モール園内)

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(ワシントン記念塔)

ナショナルギャラリーは新古典主義様式の風格に溢れた美術館でした。開業は1941年、年間の訪問者は約400万(2019年)だとか。この美術館も無料とは嬉しいかぎり。ナショナル・ギャラリーは、スミソニアン協会の所有ではなく、合衆国政府の所有だとか。そのためここも入場料が無料となっていました。

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建物の石材は粒々が見えているので砂岩ではないかと思います。近くに砂岩の産地でもあるのでしょうか。

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正面ホールは、風格に溢れた静かで落ち着いたドームでした。

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ドームの壁は四角の模様で天井に円形の明り取りが付いていました。ローマのパンテオンのドームに似ているなと思いました。

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正面ホール中央の噴水や柱は大理石だと思います。とにかく、壁、床、柱、天井ともゴージャスな材料を使用していました。

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早速、閲覧開始、レオナルドダビンチの展示もあるようです。

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(ジョヴァンニ・ディ・パオロ :1403年 - 1482年)

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(サンドロ・ボッティチェッリ: 1445年 - 1510年)

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(ビアージョ・ダントニオ:1446年 – 1516年)

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(ロレンツォ・デ・メディチ:1449年- 1492年

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(ジュゼッペ・アルチンボルド:1526年 - 1593年)

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(エル・グレコ:1541年 - 1614年)

ナショナルギャラリーの正面ホールとこの「Interior of the Pantheon, Rome, (ローマ、パンテオンの内部)」は良く似ています。

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(ジョバンニ・パオロ・パンニーニ: 1691年 - 1765年)

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(ベルナルド・ベッロット : 1720年 - 1780年)

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(ベルナルド・ベッロット: 1720年 - 1780年)

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(フランチェスコ・グアルディ:1712年 - 1793年)

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(ジョバンニ・パオロ・パンニーニ、 1691年 - 1765年)

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(ピーテル・クラース: 1597年 - 1660年)

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(レンブラント・ファン・レイン:1606年 - 1669年)

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(レンブラント・ファン・レイン:1606年 - 1669年)

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(レンブラント・ファン・レイン:1606年 - 1669年)

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(アダム・ファン・ブリーン:1585年- 1640年)

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(ヨハネス・フェルメール: 1632年 - 1675年)

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(ヨハネス・フェルメール: 1632年 - 1675年)

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(ジャック=ルイ・ダヴィッド、1748年 - 1825年)

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(ジョージ・ピーター・アレキサンダー・ヒーリー、1813年 – 1894年)

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(ジョン・シンガー・サージェント, 1856年 - 1925年)

慌ただしく見終えて、12時15分に国立航空宇宙博物館に集合して、宿泊したホテルに戻りました。

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12時50分、専用バスがホテルを出発、次の目的地カンバーランドに向かいました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-02-05 16:54 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その24 ワシントンDC(4)

午前中は、ワシントンDCのモール地区を見学しました。

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(出典:Google)

最初は国立航空宇宙博物館(Smithsonian National Air and Space Museum)に入館してみました。この博物館は、航空機、ロケットの歴史を学べる博物館。モールの博物館、美術館のほとんどをスミソニアン協会が管理・運営していて、入場無料とは嬉しい限りです。スミソニアン協会は、1846年に連邦議会によって創設された教育目的の基金だとか。合衆国政府がスミソニアン協会に一部資金を提供しており、入場料無料で公開しているのはこのためだそうです。

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入口を入ると、いきなりリンドバーグのスピリット・オブ・セントルイス号とアポロ11号司令船が登場しました。

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1927年5月、リンドバーグはスピリット・オブ・セントルイス号で北太平洋を横断してパリ郊外の空港に着陸し、一躍世界の寵児になりました。この飛行機には窓がなく、操縦席から前が見えません。リンドバーグは操縦席の潜望鏡で前方を確認したようです。約6000キロを33時間かけて単独飛行、睡魔との闘いだったと思います。複座式にすると、交替で連続操縦が可能ですが、それを避けたのは重量増に伴うエンジン出力増、燃料増を嫌ったためでしょうか。平均時速は180キロ、有視界飛行なので飛行高度は、相当低く地上の気象変化を受けながらの飛行だったのでしょうか。現在のジェット機は、高高度で飛行し、偏西風をフォローで受けるので、時速は1000キロくらいかもしれません。

以下、Wikipedia・・・

1927年5月20日-21日にリンドバーグによってアメリカ合衆国のニューヨーク・ロングアイランドからフランス・パリまでの5,810kmを33時間29分間29.8秒間で飛行し、オルティーグ賞とその賞金の25,000$を獲得した。このことで、リンドバーグの名は世界的に有名となった。

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(スピリット・オブ・セントルイス号)

スピリット・オブ・セントルイス号の航続距離は、6600キロと、ほとんど余裕はありません。途中でトラブルに遭い、燃料を使い尽くすと、不時着しなければいけません。無事にアメリカに生還するには、最低でもフランスの地に行き着くこと。リンドバーグは、決死の覚悟で操縦桿を握ったと思います。

スピリット・オブ・セントルイス号の仕様 以下、Wikipedia・・・

全長8.4m、全幅14m、全高3m、翼面積29.7 m2
重量
 空虚2,150lb (975kg)、運用(最大離陸重量に同じ)、最大離陸5,135lb (2,330kg)
動力
 エンジン1× Wright Whirlwind J-5C (166kW)、出力23lb/馬力(10.4kg/馬力)
性能(目安)
最大速度133mph (214km/h)
巡航速度100-110mph (160-175km/h)
航続距離4,100マイル(≒6,600km)
翼面荷重9 lb/ft2(44 kg/m2)


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アポロ11号司令船。

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1903年、ライト兄弟が世界初の飛行に成功。ブースにライトフライヤー号のレプリカが展示されていました。現在の小型飛行機と違って、前後が逆の構造になっていました。先頭は小さい複葉翼で、尾翼が大きい複葉翼。現在の飛行機はプロペラが前方か側方にあってプル型ですが、ライトフライヤー号のプロペラは最後尾に付いているプッシュ型。

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(ライトフライヤー号のレプリカ)

19世紀後半くらいから、馬車から自動車へのシフトが始まったようです。その動力は、蒸気、電気、ガソリンの順番に移行しました。1885年、カールベンツがガソリンエンジンを搭載した自動車を発明。1908年、ガソリン車の大衆車フォードT型発売開始。
ライト兄弟がプロペラの回転で推進力を得る方式を採用し、そのプロペラを回す動力にガソリンエンジンを選択したのが成功要因だったようです。蒸気ではボイラーなどの重いお釜が必要な上に高回転が得られないし、電気はバッテリーの重量がネックになるでしょう。内燃機関のガソリンエンジンは軽量で高回転が得られます。以降、前後を逆にしたライトフライヤー号が飛行機の原型になったように感じます。

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それにしても、ライトフライヤー号の離陸時最大重量をたったの338kgに抑えたとは驚き。

以下、wikipedia参照
全長6.4 m、全幅12.3 m、全高2.7 m、翼面積47.4m2
重量 空虚 274 kg、 最大離陸 338 kg
動力 エンジン水冷直列4気筒(4,000 cc)× 1、出力12 HP(9 kW)
性能(目安)最大速度48 km/h、最大高度9.15 m(30 ft)

1903年時点で4気筒のガソリンエンジンを自作したライト兄弟の卓越した技術力にも驚かされます。
ライトフライヤー号とは・・・以下wikipedia

主翼は複葉で、ライト兄弟自製のガソリンエンジン1基(既に機械式燃料噴射装置を備えていた)を動力に、直径2.6mの二翅プロペラ2つを推進式に配置し、ローラーチェーンによって駆動した。プロペラのトルクを打ち消すために、2つのプロペラは相互逆回転で駆動された。低出力[2]を補うため離陸には加速を補助するカタパルト(カウンターウエイトと櫓を用いる)の設置と滑走用のレールを敷く必要があり、完全な自力での発進は出来ない。着陸にはそりを用いる。
ライトフライヤー号は単純に浮揚するだけでなく、製作当時から、操縦系を既に備えていたことでも画期的な飛行機だった。機体前方に昇降舵、機体後部に方向舵を備え、ワイヤーにより、動翼を制御できた。エルロンとして主翼をたわませている(たわみ翼)。パイロットは機体へ腹ばいに搭乗し、主翼のたわみは腰を左右に動かすことで操作する。操縦応答性を最優先に設計したため、安定性が犠牲になっており、コンピューターシミュレーションでは姿勢が安定しないという欠点があるが、ライト兄弟はグライダーにより操縦訓練を重ねたため技量により安定させることが可能となった。

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アポロ計画で使われたロケットでしょうか。

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1990年、TBS記者の秋山 豊寛さん(1942年~)が搭乗した宇宙船も展示されていました。


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以下、Wikipedia・・・
TBSに勤務していた1989年から1990年にかけて、民間人では初めて商業宇宙飛行を利用するとともに、ジャーナリストでは初めて宇宙空間から宇宙を報道[2]。 現在は、初めて宇宙に行った日本人として、宇宙探検家協会(ASE、“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体)の会員にもなっている。旧ソビエト連邦の宇宙ステーションミールに滞在した唯一の日本人でもある[3]。
1990年12月1日にソ連の国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けているが、一方で彼は民間企業のスポンサーによって宇宙飛行を果たした人間の1人であることは間違いなく、その意味で彼は日本人初の宇宙飛行士にして民間初の宇宙飛行者である。なお旧ソ連の宇宙飛行士の資格は、ロシア連邦となった現在でも有効である。

国立航空宇宙博物館を見終えて、反対側のナショナルギャラリーに向かいました。
以下、次号・・・

# by camino0810 | 2022-01-30 14:32 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月7日(金)パナマ・アメリカⅡ その23 ワシントンDC(3)

ワシントンDCの二日目は、モール地区の見学でした。

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(出典:Google)

ホテルを9時に出発。専用バスに乗り込んでモールに向かいました。

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アメリカの中央官庁はモールの北側に固まっていました。連邦議会とは近い場所に立地していました。東京の霞が関の中央官庁と永田町の国会議事堂との関係と基本は同じ。ドイツのベルリンも似た感じでした。

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(出典:Google)

中央官庁の建物の建築様式は新古典主義様式に統一されていました。一見さんの自分には違いが識別ができませんでした。この建物は司法省だと思います。

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ワシントン記念塔のオベリスクが建物越しに見えました。高さ169mのオベリスクはDCのランドマーク。ガイドのUさん「オベリスクは4年前の2015年に地震に遭い、縦に割れて光が漏れました。耐震仕様ではなかったので怖かったです。アメリカ人はのんびり屋さん、工期はリーズでした」

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ワシントン記念塔のオベリスク。

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環境保護庁かもしれません。ファサードは、どの官庁もパルテノン神殿風の仕様、識別は困難です。

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ガイドのUさん「DCの建物は連邦議事堂(ロタンダ)を超えてはいけないルールがあります。但し、ワシントンのオベリスクは人が住んでいないので対象外」。DCの中央官庁や商業ビルは、連邦議事堂(ロタンダ)高さ88m以下でなければなりませんが、実際も同じ感じでした。中央官庁の建築様式は、連邦議事堂(ロタンダ)の新古典主義仕様に合わせたように思います。

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財務省はホワイトハウスの東隣でした。この役所だけポツンと離れていました。財務省が中央官庁の中でも頭ひとつ抜け出した特別な役所なのは、どこの国も同じような感じです。ガイドのUさんによれば、ファサードのエンタシス式の柱は継ぎ目のない1本もの、さりげない自慢だそうです。

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高校生の社会見学・・・

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ホワイトハウス前で記念写真。

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ホワイトハウスの北側にあるラファイエット広場に行ってみました。フランス人のラファイエットはアメリカ独立戦争で活躍した将軍で、アメリカ人には大恩人でした。独立の支援をしてくれたフランスとの関係は大変良かったようです。

以下、Wikipedia・・・

ラファイエット侯爵マリー=ジョセフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ(Marie-Joseph Paul Yves Roch Gilbert du Motier, Marquis de Lafayette、1757年9月6日 - 1834年5月20日[2]。単に「ラファイエット」としても知られる。)は、フランスの貴族、軍人、政治家である。アメリカ独立戦争ではヨークタウンの戦いをはじめとする数々の戦闘でアメリカ軍を指揮した。そしてフランスに帰国した後、1789年のフランス革命と1830年のフランス7月革命で重要な役割を果たした。

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トランプ大統領候補の人形。

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トランプインターナショナルホテルは、中央官庁街の中に立地していました。このホテルは歴史のあるホテルで、明治初頭、欧米視察団長の岩倉具視も宿泊したとか。

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10時に国立航空宇宙博物館(Smithsonian National Air and Space Museum)に集合しました。
以下次号・・・


# by camino0810 | 2022-01-23 09:07 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)  

2019年6月6日(木)パナマ・アメリカⅡ その22 ワシントンDC(2)

専用バスは18時10分、ワシントンDCの中心地モールに入りました。

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(出典:Google)

最初に目に入ったのがアインシュタイン記念碑。モールにはアメリカの発展に貢献した偉人の記念碑があちこちに建てられていました。

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(アインシュタイン記念碑)

ワシントン記念塔が近づいてきました。ワシントンのオベリスク前の集合写真撮影は都合で断念。このオベリスクは、初代大統領ジョージ・ワシントンを称えて建造されたワシントンDCで最も高い建物で、高さ169mの大理石の石柱。これを超える建物は建ててはいけないという決まりがあるので、文句なしのランドマークになっていました。

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(ワシントン記念塔)

専用バスは、タイダルベースンに架かる橋を渡りました。ランドマークのワシントンのオベリスクが良く見えました。

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反対側にはジェファーソン記念堂が見えました。1943年、独立宣言の起草者である第3代大統領トマス・ジェファーソンの生誕200年を記念して建造された記念堂で、新古典主義様式の風格ある建物でした。

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(ジェファーソン記念堂)

2013年、初めてワシントンDCを訪れました。最初に行ったのがジェファーソン記念堂(https://camino0810.exblog.jp/20140555/
。真冬だったので恐ろしく寒かったのを良く覚えています。

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(ジェファーソン記念堂:2013年)

ワシントン記念堂は生憎デモ隊に占拠されていました。モール西端に位置し、第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して建立された建造物で、新古典主義様式の風格に溢れる建物でした。1963年マーティン・ルーサー・キング牧師の「I Have A Dream」の演説でも有名。モールの数ある建物の中でも最も人気の高いものだとか。

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(リンカーン記念堂)

2013年1月、リンカーン記念堂(https://camino0810.exblog.jp/21663250/)を訪問しました。記念堂の中に椅子に座ったリンカーン像が安置されていました。

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(リンカーン記念堂:2013年)


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(リンカーン記念堂:2013年)

専用バスは北に向けて走り、ホワイトハウス脇の道路を走りました。

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(ホワイトハウス)


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(国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館)

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(アメリカ合衆国商務省経済開発局)

合衆国議会議事堂が車窓から見えました。モールの東側にあり、高さ88m、直径29mのドームは新古典主義建築。アメリカの中心の中心、同時に世界の中心でもあります。

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(合衆国議会議事堂)

2013年1月にワシントンDCを歩いた折、議事堂内部のエクスカーション(https://camino0810.exblog.jp/20708005/ )に参加しました。このドームはロタンダと呼ばれていました。

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(ロタンダ内部:2013年)


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(ワシントン像:2013年)

建国の父ワシントンを神格化した天井画には驚かされたものです。ワシントンは神様になっていました。

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(ロタンダの天井画:2013年)

フィッシュマーケットでバスを下車して、自由行動に。ガイドのUさんから電動スクーターの紹介がありました。スマホで簡単に借りられる仕組みのようです。

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ホテルのロビーで19時にワシントンDCに在住する友人のKさん夫妻と待ち合わせ、2013年以来6年振りの再会でした。2010年の夏、スペイン巡礼で一緒に歩いた夫妻でした(https://camino0810.exblog.jp/15314079/)。
UberでDCで美味しいと評判の中華を案内してもらって会食。旦那さんによれば、UberはDCでは5年前から始まり、すっかり定着したとか。6日振りに頂いたご飯食は胃袋に染みました。チャーハン、肉炒め、麻婆豆腐、麻婆茄子は実に美味しかったです。
奥さんがスマホでUberのアプリを起動してタクシーを呼びました。2年前のことなので、記憶はあいまいですが、以下のような手順だったと思います。
① 近くを走るUberと契約している複数の一般車の運転手とスマホで交信
② 行先、値段を複数の運転手と交渉して、ひとりを選定。支払いはクレジットカード決済
③ そばに来た選定した車に乗り込む
意外にも簡単で便利な仕組みだと感じました。面白いなと思ったのは、乗客が運転手の良し悪しを評価することに加えて、運転手が乗客の良し悪しを評価する仕組み。ネットで悪い書き込みをされると嫌なもの。相互評価の仕組みが、Uberの安心・安全を支えるポイントではないかと感じました。

中華レストランはモールの北側のオフィス街だったと記憶しています。

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中華の定番、チャーハン、肉炒め、麻婆豆腐、麻婆茄子をいただきました。美味しかったです。

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大食いの自分でも食べきれないほどの量でした。テイクアウトはご当地ではごく当たり前の文化、スタッフは喜んでテイクアウト用の紙の箱に残り物を詰め込みます。

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21時、ホテルまで送ってもらいました。この夫妻はつい最近まで仕事でネパールに行っていましたが、最近、ワシントンDC近くのアーリントンに戻ってきました。

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朝から慌ただしい一日でしたが、無事に終わりました。
翌日は、午前中DCを自由見学した後、ピッツバーグに向かいました。
以下、次号・・・


# by camino0810 | 2021-12-19 20:14 | パナマ・アメリカⅡ | Comments(0)